テレビ業界を目指す方が一番初めにつく仕事のひとつに、AD(アシスタントディレクター)があります。
あこがれの芸能人と近くで働けて夢がありそうな仕事ではあるものの、かなりの激務で「ADの仕事が辛い・きつい」「アシスタントディレクターを辞めたい」と言っている方が多いのも特徴です。
もしかするとこの記事を読んでいるあなたもADをされていて、ADを辞める理由や退職の切り出し方を考えているところかもしれませんね。
実は今回、実際にADを辞めた方にアンケートを取ってみました。
具体的には
- AD(アシスタントディレクター)を辞めたいと思った理由
- 退職理由の言い方・伝え方
- 辞めると伝えたタイミング
- 退職届にはどう書いたか
- AD(アシスタントディレクター)を辞めてよかったと思ったこと
などです。
実際にADを辞めた方が、どういう風に退職を伝えのかは参考になると思います。
その後に、
- 辞めたいといっても会社に辞めさせてもらえない人
- どうしても自分からは「辞めたいです」と言いづらい人、辞めづらい人
- 退職拒否や引き止めを、自分一人だと振り切れる自身がない人
- 今の職場が最悪で、いますぐ逃げたい、今すぐ辞めたい人
- 損害賠償をすると脅されている人
- 給料や残業代は払えない、有給も使わせないと言われている人
- 出社拒否中で、どうすればいいかわからない人
向けに、「退職代行サービス」というものも紹介します。
いまADの仕事で悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。
ADを辞めた5人の体験談:退職理由や言い方、辞めてよかったことなど
※枠内をスクロールしていただくと読めます。
その時の雇用形態は一応1年契約で年俸制、半年は研修期間でした。
辞めようと思った理由はまず、給料が安くて手取りで17万円そこにボーナスとかあればまだ良かったんですが、ボーナスもなしでした。
仕事時間がバラバラな上、一応土日が休みになっていて休める日のはずだったのに、休み当日に先輩ADから呼び出しがあって仕事になったりしていました。
その上、その休みの振替もなくズルズルと仕事でした。ディレクターに「何か仕事ありますか?」と聞いたら「そんなの聞かずに探しなさい」と返事がきました。
何年も経っているならその返事ありですが、1年目の新人にそんな事言ってもオロオロするしかないのは分かりきっているはずなのに、嫌味にしかきこえませんでした。
退職の仕方はほとんどバックレです。
会社に泊まり込んでいて独りで夜中作業をやっている時、ここにいたらダメだと思い、今やっている仕事の内容を先輩ADに送りつけ、社長のデスクの上にその場で調べた退職届けを置き、メールを送ったような形です。
だから伝えたのは辞める前日です。
退職の理由は一身上の理由でと中身は書きましたが、直接話した時には仕事内容が辛すぎる、仕事での拘束時間が長すぎて心が疲れたという話をしました。
新しい職場はやはり番組制作を選んだのですが、前まではバラエティ番組で今は情報番組を担当しています。
給料面はあまり変わっていませんが、バラエティ番組から情報番組に変わって良かったと思ったのは、まず時間の拘束が短くなったと言う事です。
正直情報番組は情報の鮮度が命です。
なので1週間も前から準備をする事が少なく、2?3日前から準備を始めますので忙しい時と時間に余裕がある時のメリハリがつくようになりました。
2つ目は前いた番組はどちらかというと男性主体だったので強い言葉が沢山飛び交っていましたが、今の番組は女性が多く柔らかい言葉が増え罵倒がないので居心地がいいです。
3つ目は前は1制作会社で1番組を作っていましたが今は色んな会社が入り毎日の情報番組を作っています。
大勢で作っているので色んな意見が出てきて意見交換が出来きて風通しがいいです。
前は上が黒なら白は黒に近い灰色って感じでした。
私は番組制作会社のADをしておりました。
新卒で契約社員として働いておりました。
小さな番組制作会社だったので同僚は一人しかいませんでした。
そして、お互いに番組を受け持っていたこともあり、全く会うことはありませんでした。
なので、2人で飲みに行ったり、お互いの愚痴を言い合う、などストレス解消の時間はありませんでした。
さらに、私がついていた女ディレクターが(かなり言い方悪いですが)すごく太っていて、あまり清潔感を感じる方ではなく、さらに性格もきつい方でした。
私も私で悪かったのですが、自分から何をすればいいのか聞いたり、先のことを見据えて何かを準備するということをしませんでした。
言い訳になりますが、新卒でまだ社会を知らなかったので、質問をすることをせず、また上司が怖くて聞けなかったという理由でした。
しかし、その女ディレクターから仕事の流れを教えてもらったり、次に何をすべきなのか指示をもらったりした記憶がありません。
周りのプロデューサーや私をなぜか可愛がってくれていた取引先の方から仕事を教えてもらっていたように思えます。
なので、あまりその上司を好きになることができませんでした。
ですが、下っ端がやりそうな仕事はすべて私がやり(当然ですが)、彼女が動くことはほぼありませんでした。
心の中で、だからそんなに太るんだよ、と愚痴を言っていたのをよく覚えています。
さらには、会社の管理をしている女の人に、「後ろ姿があの女ディレクターとそっくりよ」と言われたことが愕然としました。
私も痩せている方ではありませんでしたが(当時は60キロくらいありました。不規則な生活を送っていたので・・・)、しかし、あの女ディレクターと比べたら全然!w当時は感じませんでしたが、パワハラ的なところもあり、仕事していて生きている心地はしませんでした。
そんなこともあり、正直「この仕事を続けていったら、あの女ディレクターみたいに女を捨て、仕事だけしている人生なんてまっぴらごめんだ」「こんな仕事量が多いのに、これだけの給料しかもらえないのか」と感じたこともあり、また不規則な生活を送りすぎて、体調を崩してしまったということもあり、ADの仕事を辞めることにしました。
当時、日本テレビの海外番組を派遣社員として担当しておりました。
退職した理由は主に3つあります。
①海外番組でしたので海外のリサーチが主でしたが1週間程かけて作成した資料を総合演出の気分で
国を変更しよう!とかでまた0から調べ上げる作業が度々あり、ディレクターのプレゼン能力を低かった事から簡単に企画変更になる点でした。
同じADならおそらく共感していただけるかと思いますが、1週間寝ず休まずで徹底的に調べあげた努力の結晶ともいえるものを場のノリでたった一言で水の泡になる。
②これはよく言われますがとにかく睡眠時間と休日が無い。
当時、日テレではホワイト企業や労働基準法が注目されて、20時までには帰ろうと運動がありましたが、帰るには日テレ社員だけ!他の制作会社は同じビルにいたとしてもずっといるような感じでした。
日テレには地下2階にシャワー室があり、16階にはファミリーマートがあるため基本的な生活はできる環境です。
それが逆に家に帰れない理由となり1週間に1日帰れるかどうか、服だけ着替えに帰るみたいなものでした。
そして、同じ地下にカプセルホテルがあるが、圏外であるため電話がつながらずディレクターがキレる事が多くあり、デスクで寝る事を余儀なくされていました。
ディレクターが作業している時間であれば朝4時だろうが5時だろうが関係なく電話がかかってきて調べものやデータを求められるので常に睡眠不足でした。
これは担当するディレクターによって大きく変わる点でもありますが、自分が担当したディレクターはそうでした。
とにかく休日がない!私が配属された制作会社はとにかく休みがなく3ヶ月に1日という考えられないものでした。
そして給料が固定制で手取り16万程でした。ブラックすぎます。
③最後に決定打だったのは海外番組でもあったので女性のADが比較的に多く、共に働く事で20代の女性というにも関わらず上記のような生活をしているために、髪からは大量のフケが常にあったり肌荒れや虫歯が非常に多かったのです。
これは寿命が縮むと思いました。
立派な事でしたがADのメリットは芸能人に会えるという事だけ、だと感じました。
退職届は番組が1クール終了する1か月前に申し出ました。
退職届は出さず派遣会社に電話して決定となりました。
決定してからはいろんなディレクターから声がかかる程、円満に退職する事ができました。
転職してからは定時の17時は帰る事ができ、23時にはベッドに入れる、給料も上がりボーナスもあるというADに比べたらとても気楽な仕事と人生を送っています。
ADはテレビ制作における全ての準備をする事が仕事なので、ディレクターやプロデューサー・放送作家など制作スタッフが働いていない時間にもたくさんの仕事があり休憩している時間などほとんどなく、動き回らなければならず体力的にものすごくきつかったです。
休みをとる事はとても難しく徹夜もざらにありとにかく多忙でした。
男性と同じ重さの物も当たり前に持つ事が多く女性だから大目に見てもらえるという事は一切ありませんでした。
1番大変だったのが、ディレクターによりロケの方法や編集のスタイルが全く異なり各ディレクターに合わせたアシスタント業務をこなさなければならずものすごく大変でした。
理不尽な要求をされることも多く、どう考えても自分1人ではこなす事が出来ない仕事量に体力的にも精神的にも潰れてしまいました。
徹夜続きで常に体調が悪くどんどん精神的に追い込まれ、このままではきっと人間らしい生活をするのは無理だろうと精神的に追い込まれるところまでいってしまい、夢を描いて入った仕事だけれど、とてもやっていけないと思い辞める決心をしました。
退職願には一身上の都合としか書きませんでした。
上司からは「今の若いやつはすぐに辞めるからな」とねちねち嫌みを言われましたが、思ったよりすんなり受理してもらえました。
私が転職先に選んだのは事務の仕事でした。
仕事内容も覚えてしまえば簡単な物だし、体力的にきつい事はほとんどなく定時に帰る事が普通に出来て、時々面倒な事を言ってくる上司もいますが、ADの仕事をしていた頃に言われた理不尽な事に比べれば、何て事はないので全く気になりませんでした。
仕事終わりに同僚と食事や飲みに行くなども出来てあの頃には考えられなかった楽しい時間を過ごす事が出来ています。
周りの人達も年の離れた人もたくさんいますが特にくせが強すぎるという人もいないし、年の近い子とはすぐに仲良くなり友達になって毎日穏やかな気持ちで人間らしく仕事をする日々を送っています。
はじめまして。
20代後半の男で、新卒から3年ほど番組制作会社でADの仕事をしていましたが退職して、今は転職して別の職場で働いています。
・雇用形態
新卒から正社員で入社しました。
・辞めようと思った理由・具体的な体験
まず残業代・手当・賞与等が出ないこと、これにつきます。
どれだけ働こうが、どれだけ頑張ろうが、給料は基本給のみです。
また、休日出勤も当たり前で、最高2ヶ月間くらい休みなく働いたことがあります。
会社に泊まったことも数知れず、椅子を並べたり床の上で寝たことも数多くありました。
最高で編集室に4日間缶詰だったことがあります(その間はもちろん家には帰ってません。)
タクシーも極力控えるように言われていたため、自腹でタクシー代を出したことも何度かありました。
・退職の理由はどう伝えたか、伝えるタイミングはいつだったか
退職は3年目の最初の時に一度どうしてもやってられなくなり、退職したい旨を社長に伝えましたが、
「もう少しやってみないか」ということで引き止められ、その後ずるずるやり続けました。
その後、退職の3ヶ月ほど前にもう一度退職したい旨を伝えました。
ただ、その時担当していた番組があり、それがきちんと終わってからということでその時は終わりました。
それから番組が無事終わり、退職の1ヶ月ほど前に再度退職の相談をしたところ「どうしてもか」と引き止められましたが、自分の意思は変わらず退職することになりました。
・退職届にはどのように書いたか
「一身上の理由により退職致します」と書きました。
・新しい職場に転職して、「辞めてよかった!」と思ったこと
①賞与がある。(その他手当がある)
残業代はありませんが、それだけでも十分辞めて良かったかなと思います。
②良い人が多い
前の会社は正直嫌な人が多かった気がします。(ディレクターは特にそうです)
おじさん世代の人に話が通じないことがあり、はよく理不尽に怒られていた気がします。
③若い人が多い。
前の会社は若い人がすぐ辞めるので、おじさんが多く、空気がよろんでいました。笑
今の会社は若い人が多いので活気に溢れています。
今回は一例として派遣社員、契約社員、正社員でADを退職された方を紹介しました。
このほかにも新卒で新入社員としてADになったものの、予想以上にきつく研修中・試用期間中に辞める方がたくさんいました。
またその他の仕事を辞めたい理由・行きたくない理由として「仕事が激務でうつ病になった」「ADの仕事が大変すぎる」という方も沢山いました。
ADを辞める方法は、以下に紹介する記事が参考になると思いますが、もし
- 自分から退職を切り出せない、
- 辞めたいといっても強い引き止めに合う
- 即日退職したい
という場合は、この記事の最後までお進みください。
自分で退職するコツ
退職時のよくあるトラブル解決法
もし自分から退職を切り出せない、強い引き止めに合う、即日退職したいなら…
もし自分でアシスタントディレクターを辞めたいと言いづらかったり、すでに退職したいと伝えているのに辞められない場合はぜひ、退職代行サービスというものを使ってみてください。
- 今この瞬間から、一言も会社の人と話さず退職できる
- これまで退職を拒否されたことがない
- 訴えられたこともない
- 最短で即日退職可能
- ほとんどの場合は有給も給料ももらえる
- 退職後の手続きや流れを、丁寧に教えてくれる
という特徴があります。
自分が退職できる状態かどうかの無料相談は、24時間…つまり今この瞬間でも出来ます。
詳しくは以下の記事を読んでみてください。