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今回のテーマは「適応障害」なのですが、実は適応障害は退職代行サービスを利用される方がうつ病と同じくらい多いんです。

 

それもそのはず。

適応障害は本人はかなり辛い病気の一方で、うつ病ほどの知名度は無く、また政治家がやたらと「適応障害で~」と語り不祥事から逃げてしまうため「適応障害=仮病」「甘え」と思われがち。

 

その結果、適応障害だと会社に伝えても

  • 真面目に聞いてもらえず、強い引き止めにあったり
  • (サボリか…)と思われて職場の人間の態度が激しくなったり
  • 適応障害の診断書を見せても、休職・退職を拒否されたり

結果、退職代行サービスに頼るほかなく退職される方が多いんですね。

⇒適応障害でも99%退職できる、退職代行サービスの詳細はこちら

 

そこで今回、この記事では

  • 適応障害と仕事の関係
  • 休職しても適応障害にはあまり意味がない理由
  • 実際に適応障害で退職した方の体験談

についてご紹介します。

 

適応障害で仕事を辞めたいけど辞められない方や、休職するか退職するか迷っている方、また既に休職中で会社に退職したいことを言えない方の参考になれば幸いです。

適応障害は、仕事のストレスを様々な形で私たちに教えてくれる

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html

 

実際に適応障害かどうかは病院に行ってお医者さんに診断していただかないとわかりませんが、一つ言えることは、適応障害は様々な形で私たちに「もうこれ以上は無理しちゃだめだよ!」と教えてくれます。

例えば会社に行ったり会社の事を考えたりしたら、以下のような症状は起こりませんか?

めまい/下痢/妄想/震え/怒りっぽく攻撃的になったり、すぐにイライラする/うつっぽい・抑うつ症状/ノイローゼ/息苦しい・息がしにくい/ノイローゼ気味/心臓が痛い/突然涙が流れて泣いてしまう/吐き気/腹痛/何とも言えない不安感や焦り/耳鳴り/腰痛/朝が辛く起きられない・朝に動悸がして不安になる/毎日のように悪夢を見る/会社に行こうと思っても一歩も動けず職場に行けない/過眠・寝すぎる/記憶力低下・物忘れが激しく忘れっぽい/常に疲労感があり疲れやすい/脱力感・だるさ・倦怠感がある/眠れない/毛が抜ける/めまい・貧血で倒れそうになる/突然冷や汗が出て止まらない/失神/偏頭痛/パニック発作で過呼吸になる/死にたくなったり自傷行為を起こす/味覚異常・味覚障害/無気力で憂鬱・やる気でない、気力がない/目が見えにくくなった/いつも劣等感がある/

 

ちなみに適応障害が悪化するとうつ病になり、治療には最低半年~1年、3人に一人はさらに長期化して後遺症が残ってしまうようです(参考:長期化するうつ病の要因と治療)。

また適応障害の場合は休日はまだ落ち着いてられるのが、悪化して鬱になると会社でもプライベートでも、ずっと今感じている症状が続くようになるそうです(参考:みんなのメンタルヘルス

適応障害は会社を退職しないと治らない!?

ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。

https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_adjustment.html

 

この後紹介する体験談でも当てはまる方が多かったのですが、適応障害になった際に退職ではなく休職を考える方も多いと思います。

ただ休職したところで頭の中からストレス要因の仕事が消えることはありませんし、むしろ休職期間が明けた後どうするのかを考える分、ずっと苦しい思いや辛い思いをされる方、中には休職することで悪化してしまう方が多かったです。

また中には休職後に復帰できない・復帰したくないのを理由に休職を延長される方もいますが、休職期間を延ばしたり繰り返したところで、やっぱり頭の中に会社の人間関係等のストレス要因がありますから、効果にはあまり期待できないでしょう。

休職後の職場復帰…職場の人間はどう思ってる?

それに適応障害で休職し回復した場合でも…職場の人は暖かく受け入れてくれそうでしょうか?

やっぱり職場の方々は迷惑だと感じて…体験談でもありましたが復帰後に

  • 無視される
  • 嫌がらせをされる
  • いじめられる

こういう事が起こり職場に馴染めず、適応障害が再発して、体調不良になり休みがちになって辛い思いをされる方も多いです。

 

これから適応障害で退職された方の話をご紹介しますが、適応障害の場合は28か月間の手当を受ける方法もあります詳しくはこちら)。

もしこの記事を読んでいるあなたが、既に休職中で復帰・復職が怖かったり不安、でも働けないとお金がないので困るとお悩みの場合は、こういった手当を受けるのも一つの手だと思います。

適応障害で会社に行けない・行きたくないら仕事を辞めた方の体験談

お待たせしました。

適応障害で会社を辞めた方に

  • 適応障害になった理由
  • 退職理由をどう伝えたか
  • 退職の伝え方やタイミングはいつにしたか
  • 退職届の書き方について
  • 適応障害は退職したら治ったか

などについて聞きましたので、参考にしてください。

※各見出しをクリックしていただくと、内容が見られるようになっています。


正社員の保育士で、周りに助けてもらえず適応障害になったAさん

働いていた当時は、保育士として正社員で雇用されていた。
1年目だったが、ひとりで行う仕事が多く、周囲の助けも自分から得られなかったため適応障害になってしまった。

適応障害になったことを伝え、一度休職を希望したが、休職することを止められた。
何度か話をして数日の休みをもらえることになったが、休職中にも、仕事に連絡が来る、復帰後はそれまで以上の仕事を行わなければいけない状況になったため再度休職をした。

仕事をしていた時の環境では、病気への理解はしてもらえないと考え退職を決めた。
退職は、休職をしていた際に面談の機会があり、その時に伝えた。面談の際には、体調が戻るまで休んでいいと伝えられ退職を止められたが、職場に戻ることは難しいことを伝えて聞き入れてもらった。

その後、指定された退職届などの必要書類を送付して仕事を辞めた。

 

仕事を辞めて、気持ちに余裕が生まれたように感じる。
休職中は、いつか仕事に戻らなければいけないという恐怖から夜寝れなくなってしまうことや、不安で涙することがあったがそれが少なくなった。

全くできていなかった趣味の読書にも打ち込めるようになり、気持ちが少し前向きになった。

次に、気軽に外出できるようになった。
休職中は、休んでいるという後ろめたさや、子どもを見るだけで仕事のことを思い出してしまい苦しくなるため、外出が億劫になっていた。

しかし、仕事を辞めてから以前より気軽に外出ができるようになった。
子どもを見た際にも、子どもはかわいいなという普通の気持ちでいることができるようになった。
気持ちが安定してきた証拠だと感じる。

 

最後に、仕事をしていた際の不調が減った。
仕事をしていた時は、食べるたびに吐いてしまったり、通勤中涙が止まらないことがあった。

現在では、しっかり食事もとてるようになり仕事をする前の体調に戻っている。
服薬についても、睡眠がとてるようになってきたため睡眠薬を飲む機会が少なくなった。

退職をすることについて不安でいっぱいであったが、結果的に体調も戻ってきたため私に必要なことだったと感じている。

自分一人だけ一人で仕事を回させられ、ある朝立ち上がれなくなったパートのBさん

・その時の雇用形態について→1日5時間×週4日のパートでした。

・適応障害になった理由→ほかの人たちは複数人で仕事を回しているにもかかわらず、当方の仕事は当方1人だけ(本来同じ場所を担当するはずの上司が当方のみに仕事を任せきり、で上司はほかの場所のフォローに行く)。
しかしながら当方以外のチームは最低2人以上で回しているので、フォローに行っても短時間で終わります。

それでいて当方が時間内に終わらせなければフォローをするわけでもなく、むしろ早くやるようにと注意までされたこともありました。
ちょうど繁忙期と重なっていたこともあり、周りのパートさん方も余裕がなかったかと思いますが、当方に対し当たりがきつくなったり、無視をされるような場面もありました。

そのような状況が続き、体調が優れない日が増えていきました。

 

・適応障害で仕事をやめようと思った理由→ある朝ついに立ち上がれなくなってしまいました。
めまいに動悸、吐き気なども表れ、「これはまずい」と判断。精神科に勤めている知人に相談したところ、知人の精神科を受診するように勧められました。

受診したところ、適応障害と診断され、担当医に「これを見せてすぐにでも会社を休むように」と診断書を渡されました。
上司(先述の上司のさらに上の役職)に診断書を提出し、すぐに休職できるようにしてくださいましたが、診断書に書かれていた日にちを超えても一向に回復は見込めず。

どうして適応障害になってしまったんだろうと考えたときに今の職場環境の影響が大きく、たとえ復職をしても同じメンバーに関わらなければいけないことには変わりはないため、復職してもまた休職の繰り返しになるだろうと思ったことから、退職を決めました。

 

・退職の理由はどう伝えたか→診断書をすでに提出しておりましたため、体調の回復が見込めないと電話で伝えました。

・退職を伝えるタイミングはいつだったか→契約期間が決まっておりましたため、その契約が切れる1か月前に伝えました。

・退職拒否や引き止め→最初は徐々に復帰していきましょうと復職前提でお話を進められたり、「(現場の上司)も評価しているんだよ」と言われたことはありました。

・退職届にはどのように書いたか→体調を崩し、回復が見込めないためと書きました。

 

・仕事をやめてよかったこと→退職してから1か月ほど経ってから体調が回復してきたこと。
当たりの強いパートさん方に合わなくてよいこと。

将来について少しゆっくりと見つめなおす時間ができたこと。

業務委託の営業職、プレッシャーから適応障害になったCさん

業務委託の営業職でした。
完全出来高制で100万円程の幼児教材の契約を取る職でしたが、リアルタイムで成績が社内表示されたり、月1の会議で成績優秀者の発表があり、売れる人間はもてはやされるが、成績の悪い人間はあからさまに大勢の前で馬鹿にされたりという環境でした。

次は自分がやられるかもしれないという不安とお客様へ配る試供品や備品は個人負担だったので、その金額がかさみ、売れないことへのプレッシャーから適応障害になりました。
お客様の自宅へ訪問する際に動悸や手足の痺れが度々起こるようになったことやプライベートでも他人と会うことに恐怖を感じるようになった為、このままでは自分が壊れてしまうと思い、退職を決めました。

 

退職のタイミングは退職の1ヶ月前には申し出ようと考えていました。
最初はやはり適応障害だと正直には言えませんでした。

上司に罵倒されるのが怖かったからです。
その為、「自分には向いていない、売上が上がらない。来月末で退職したい。」と退職を申し出ましたが「もう少し頑張れば自然と売れるようになる。今は辛くても必ず君なら売れる。誰だって最初はそうだ。」と引き止められました。

普段からとても面倒見の良い上司で私を育ててくださった方だけに、断りきれずにそれから退職は一旦見送り我慢することになってしまいました。
しかし、症状も日に日に酷くなり、プライベートでも倦怠感や不眠症状がでるようになってしまい我慢ができなくなり、今度は正直に「精神的についていけない。心療内科で適応障害の診断を受けた。体調不良でもう無理。」と伝えたところ、しぶしぶ承諾していただけました。

 

結局、症状が出始めてから3年間勤務していました。
退職届は特に必要なかったです。

今は在宅でデータ入力の仕事をしています。
以前の営業職のように収入は良くありませんが、プレッシャーがなくなり発作や体調不良が起きる機会が減ったことはもちろんですが、自分のペースで満足できる仕事が出来ていること、プライベートとの両立に余裕が持てるようになったことなどから転職して良かったと感じています。

上司の長期にわたる叱責で適応障害になったDさん

上司の執拗な叱責が長期間にわたり続き、適応障害、パニック障害だと診断されました。
診断書を見せることで上司からの叱責が収まるかと思い、上司に伝えました。

その会社では接客業を5年間していましたが、上司に障害の事を伝えてしばらくすると急に一か月後に工場への異動が言い渡されました。
理由は聞いても、しどろもどろになり、はっきりとした回答は得られませんでした。

工場には研修で2か月ほど入ったことがありましたが、蒸気で常に暑くて、走り回っているような状況でした。
体力的に長く続けるのは無理だと思ったので、それは伝えましたが人事は覆りませんでしたので、有休も含めれば退職から一か月半前にその場で退職を申し出ました。

すぐに店舗に戻れるかもしれないよ、と引き止められましたが、確証がないし、いつになるかもわからないのでお断りしました。

 

退職届は割とすぐに本社から届いて、企業秘密や、技術を口外しません。自己都合で退職します。というような内容のプリントにサインと印鑑を押すだけで済みました。
自己都合と言えば自己都合だとは思うのですが、タイミング的に異動の事があっての退職だったので納得がいきませんでしたが、半ば強制的にサインさせられました。

 

転職してよっかったと思うことは、異動の事がなくても、同僚との人間関係がもともといいものとはいえず、きっと転職していたと思います。
転職したことで、転職先ではいい人間関係に恵まれました。

合わない人たちとずっと一緒にいるよりも少しの間頑張って勇気を出して転職してよかったと思います。

 

他には転職したことで給料が上がったことです。
前職では高校卒業後すぐに就職したのですがそこからほとんど給料が上がらなかったので、転職してよかったと思いました。

あとは、私の場合は異業種に転職したことで、もし今後転職するときに職歴、できることのスキルが増えたことが良かったです。
同じ業種に転職してしまうと年齢が上がるごとにやれる業種が狭まってしまいます。スキルが増えたことで安心しました。

「お局様」のいじめで適応障害になってしまったEさん

ようやく正社員の座を手に入れ、入社してから休みはほとんどなく、業務が終わらず毎日サービス残業を行う日々でした。
頑張って顔を覚えるのが苦手な私でしたが、1人1人のお客様の顔を覚え、相手から日に日に声をかけてもらえるようになってきたある日のこと、お局様が仲良くしていたお客様と話していたのが癇に障ってしまい、その日から地獄の日々がはじまりました。

まず、はじめに典型的なあからさまな無視からはじまり、今度は大きな声でミスを詰られました。
また、隣の席であったため私の顔が見えないようにとバリケードを作られ毎日来客するお客様へあることないこと中傷を受け気づいてころには職場のドアを開けることができなくなり、中に入ることができなくなり適応障害となりました。

 

当初、仕事をどうしても辞めたくなかった私は、今までお局様にされてきた嫌がらせのすべてとお話し包み隠さず理由を述べ、適応障害であると診断を受けたことを上司に報告し、今後について相談を行った結果、お局様と距離をとり、接点をもたないという結論に至り仕事続けました。
しかし、仕事は辞めなくていいという上司の甘い口車には罠がありました。

仕事を続ける代わりに上司と不倫相手の逢引の手伝いを強要され、適応障害と診断された1ケ月後、退職日の2週間前に仕事を辞めたいことを伝えましたが、現状の給与の2倍を出すことの提案をされ、引き止めにあいました。
しかし、適応障害であり仕事を続けることが困難であると医師に診断書へ一筆記入していただき、通常の退職願と一緒に診断書を提出し無事に退職を迎えることができました。

 

今の仕事に転職してよかったことの1つ目は、急ぎするぎことはないのであると学んだことです。
サービス残業し、身も心もボロボロになるまで行う仕事はないのだと気づくことができたのです。

2つ目は心のバランスを保つということです。プライベートを重視することで仕事の効率があがることを知り良かったと思いました。
3つ目は、家族の大切さに気付けることができて良かったです。親孝行できるうちに親孝行したいという前向きな気持ちを持てるようになりました。

仕事が忙しすぎて適応障害になったFさん

派遣社員として就業していた時に適応障害になったことがあります。
理由としては配属になった部署が非常に忙しく、時間に追い立てられる日々を送っていたからです。

何時までにこれをここまでやるというタイムリミットが設けられており、休憩や昼食を取ることもままなりませんでした。
ある時から仕事中に動悸や汗が止まらなくなり、呼吸が苦しくなることが多くなりました。

あまりにも苦しいので内科にかかったところ、心療内科を勧められ、そこで適応障害という診断が下りました。
このままこの業務を続けていると症状がひどくなるとの医師からのアドバイスがあり、退職を決意しました。

 

退職については次月更新を確認される約1か月前に、適応障害と診断されたので次の更新はせずに退職したい旨を派遣元と派遣先の社員に伝えました。
派遣先の担当者に慰留され、今の業務のまま担当量を減らすという提案だったため、退職の決意は揺るぎませんでした。

派遣社員のため、退職届などは特に書くことはありませんでした。
仕事を辞めてみると時間に追い立てられることもなく自分のペースで生活できること、動悸や呼吸が苦しくなることもなくなったこと、仕事前の休日にふさぎ込むこともなくなり、思い切って退職して良かったと思いました。

パワハラで適応障害、さらにうつ病に発展したアルバイトのGさん

雇用形態はアルバイトでした。
適応障害になった理由は、会社社長との価値観の違いとパワハラでした。

雇用時間は9時からとなっているのに会社が13時からしか開かなかったり、バスの終電時間以降の就業を求められたりと酷いものでした。
精神科を受診し、適応障害と診断されてすぐに会社に行けなくなり、結果1カ月で退職すると事なりました。

 

退職届は書いていません。
22歳だったので父についてきてもらい、診断書を出して、辞めさせていただけるように言いに行きました。

アルバイトだったので何日前とかは無く、引き留められることもなく、さっぱりした物だったと記憶しまいます。
その後、他にも仕事をしましたが、その中で適応障害がうつ病になり、障がい者手帳を取得して今は障がい者雇用枠で働いています。

 

仕事を辞めて良かった事と言うか、うつ病になってよかった事は、自分を見直すことが出来る事業所に出会えたことです。
自分の価値観や社会の見方が変わりましたし、自分の体調や心理的な事を見直すことが出来、社会生活だけでなく、私生活の面でも見直すことが出来ました。

また、同じような悩みを抱える人や支援してくれる人の存在を知れたことも大きかったです。
もしまた同じような会社に入ってしまったとしても一人じゃないと思えるし、病気を酷くしないうちに何か手を打つことが出来ると思います。

 

そして希死感に悩まされることが薄くなりました。
当初は死にたいという気持ちが強かったのですが、今は穏やかな気持ちで毎日を過ごすことが出来ています。

これらのことから学んだことは、無理はしてはいけないという事です。
死にたいくらいに思うのなら、楽してずるく生きてやろうと開き直ってほしいと思います。

適応障害で涙が止まらなくなり、今でもトラウマを抱えるHさん

住宅リフォーム会社の営業として、正社員で入社いたしました。
憧れの業界、憧れの会社であったこともあり内定が決まった時は本当に嬉しかったのを覚えています。

その会社は研修期間が非常に短く、新入社員も入社1ヶ月後には現場に一人で立つ制度を導入していました。
その代わり、営業先では常に本社の上司と電話が繋がっており、インカムで指示を仰げると説明されていたので、安心しておりました。

 

しかし自身の担当になった上司との相性が悪かったのか、電話はすぐ切られるか、何度電話しても出ない、出ていただけて状況を説明できても暴言を吐かれることの繰り返し。
知識も無いので営業先であるお客様の家で何もできず、そのまま一時間近く放置されることもありました。

これらが蓄積した結果あっという間に適応障害になり、電話の音が鳴ると涙が止まらなくなったり、まともに車の運転ができなくなりました。
それでも騙し騙し仕事は続けていたのですが、ついにお客様の家に車を向かわせることも困難になり、退社を決意しました。

 

退職の理由はきちんと話せず、早期の退職の意思だけお伝えした形になってしまいましたが、事務所でも涙が止まらなくなったり、まともに話ができない状況だったので、察してくださっていたように思います。
退職の意思をお伝えしたのち、仕事の引き継ぎや持ち物の整理に5日ほど出勤し、そのまま退社となりました。

一度、最終面接や研修でお世話になった人事の方がわざわざ足を運んでくださり、希望の職種への異動などを提案してくださいましたが、会社に残ることを前向きに考えられなかったため辞退しました。
その後、私を担当した上司はただ口が悪いだけだということ、私の心が弱いことがそもそもの問題であることを話され、訴えられないよう念を押されているような気分になりました。
退職届は本当に悔しい思いを抱きながら、「一身上の都合により」と書きました。

 

本当はあったことや言われたことを羅列したいくらいの気持ちでしたが、店長が見ている手前でしたのでできませんでした。

その後一年経ちましたが、未だに運転は出来ず、男性の大声への恐怖心も拭えません。
しかし「個人事業主になる」という、あのまま会社に所属していたらできなかったことに挑戦できたほか、「働く場所や付き合う相手をきちんと選ぶ大切さを知れた」ので、今では良い経験になったと思うようにしています。

なにより同期も一年以内にほとんどが退社したことを後に知り、「早いうちに足抜けできた分幸せだったのかも知れない」と、最近は思えるようになりました。

残業続きで難聴になり、嫌がらせが始まり適応障害になったIさん

正社員として採用され1年目の勤務していました。
仕事は忙しく、いくら残業をしても終わらない作業をしていました。

作業に終わりの見えない毎日で、に精神的に追い詰められました。
そんな毎日の中で適応障害になった理由は、気がつくと突発性難聴にったことでした。

 

難聴治療のために、病院に通院しはじめると、上司から嫌がらせを受けるようになりました。
その嫌がらせをきっかけに更に、聴力の低下、そして適応障害になってしまいました。

難聴と適応障害を患い、しばらくの休養が必要と判断し、仕事をやめる決心をしました。
退職理由は、難聴と上司の嫌がらせを理由としました。

 

適応障害は伝えるとより、嫌がらせが激しくなると思い伝える勇気がありませんでした。
適応障害と診断を受けてから、3日ほど休みを取りました。

その間にやめる決心をしました。
翌朝、嫌がらせを行った上司の更に上の上司に、退職届を提出しました。

その上司と少し話をしました。
そのときに、やめる理由を簡単に書面にして読んでもらいました。

 

そのうえで、簡単な引き止めや理由を聞かれました。
口頭では、必要以上にやめる理由を伝えず、辞める決心は固いとの意向を伝えました。

少し時間はかかりましたが、そのまま受理してもらいました。
直属の上司を飛び越えて退職届を提出したので、直属の上司から話はありましたが、自分の悪評を言われたくないだけの感じでした。

その分、比較的早く円満に退職することができました。
退職届自体は、一般的な書式で書かせてもらいました。

 

無事にやめた後に、一ヶ月後には転職ができました。
一ヶ月の間に昔の知り合いにあったりする中で、自分自身を取り戻せました。

難聴は変わりませんが、補聴器をつければ何も問題なく生活ができるます。
転職活動でもそのことをきちんと伝えると理解してくれた会社に無事に採用されました。

辞めてよかったことは、仕事から開放される時間のおかげで、自分を取り戻せました。
昔の仲間に合うことで、転職の機会も得ました。

自分の悩んでいたことを公にできたことで気持ちが軽くなり、前向きになりました。
今の職場では、自分の中で溜め込まないようにして、協力や理解をしてもらうことで仕事自体も楽しくできるようになっています

パワハラ上司が適応障害の診断書を認めず、簡易書留で退職届と診断書を送ったJさん

・その時の雇用形態について
正職員として働いていました。

・適応障害になった理由
配置換えになった部署で約2年間パワーハラスメントを受け続けたからです。

 

・適応障害で仕事を辞めようと思った理由
職場に行きたくても体がこわばりすくんで動けず、喋ろうとしても声が出ず、常に頭が真っ白で仕事ができるような状況でもなかったからです。

・退職の理由はどう伝えたか(素直に適応障害が理由と伝えたか等)
電話でパワハラをしていた上司の上の人に電話で精神科を受診したところ適応障害という診断を受け、仕事ができる状況ではないからやめさせてくださいと伝えました。

 

・退職を伝えるタイミングはいつだったか(何日前だったか)
病院に受診する前に口頭で退職を申し出をしたが受理されず、受診後その日のうちに再度電話で伝えました。

・退職拒否や引き止めがあって、辞めにくい・辞められない事があったか
口頭で上司の上の人に精神的にまいっているので辞めさせてほしいと伝えても受理されず、更にひどいパワハラにあい、受診後電話で伝えたら「受診の結果の診断書とどのような検査をしたのか提出するように。話はそれから」と言われ引き延ばそうとされました。

 

・退職届にはどのように書いたか
受理してくれなかったので、「一身上の都合」と書き、簡易書留で診断書と検査結果を添付して送りました。

・仕事を辞めて、もしくはその職場から転職してよかったこと3つ
今の職場は私の前の精神状態も知った上で雇ってくれた職場で、そこで働く中で感じた3つの幸せですが、1つは、挨拶をしてもにらみつけられずに普通に挨拶を返してくれること、そういう普通のことが日常であること。

 

2つめはサービス残業をすることなく、きちんと定時で帰れること、家族との時間がとれるようになったこと、そして3つめは過去の自分は自分自身がただただ虚しく生きる意味も何もない空虚なものだったのが、人として存在を感じれるようになったことです。

前よりは給料は下がりましたが、自分のことを一人の人間として認めてくれることがただただありがたいと思います。
一度壊れてしまった私がもう一度社会で生きていけれることができている幸せを感じる毎日です。

新卒で適応障害になり、就職して4か月で退職した元幼稚園教諭のKさん

新卒で幼稚園教諭に正社員でついた際に適応障害と診断され、わずか4か月で辞めました(その間休職2か月)
当時、担任を1人で持たせてもらったのですが、何をどうすればよいのか全く分からない状況でした。

少し助言がほしかったのですが、園長やその他の教職員の方々には冷たくあしらわれ(新卒にとっては心無い言葉もかけられました)、具体的にどうすれば良いのかは指導がなかったです。
また、新卒の為、研修や外部からの指導が多く精神的に参りました。

休日も返上で仕事をしていました。
(当時はパソコンの使用に不慣れだったので、書類を作成するのにも一苦労でした。)

そういうことが重なり、幼稚園に行けなくなり、精神科を受診したところ適応障害との診断が出ました。

 

しばらく休んだ後、出勤したのですが、状況は変わらずでした。
仕事をしている間にまた上記の理由で精神的に苦しくなっていけなくなってしまいました。

受診したところ、また適応障害でした。
さすがに2度も適応障害になりお休みをもらうのは申し訳ないと感じ(担任もしていたので)て、辞めようと決断しました。

辞める2週間前に退職の意志を園長に伝えました。
園長に直接、診断書を見せて「このような状況になり、これ以上ご迷惑をかけられないので退職させて頂きます。」と伝えました。

かなりご迷惑をかけていた為か、すんなり辞めさせてくれました。
引き止められることもなかったです。

退職届はパソコンで作成し「一身上の都合で辞めさせていただきます」と入力しました。

 

次の仕事を探すにも上記の経験を経た為か自信がないことが苦しかったですが、仕事を辞めて、精神的に楽になったのが良かったと思っています。
働いていた時は休日も仕事仕事で周りが見えませんでしたが、辞めてからは自分としっかり向き合う時間、家族と接するがとれたので心が落ち着きました。

その後、転職して保育士として働きましたが、周囲の方々に恵まれたようで以前のようなことは一切なく楽しく仕事ができました。
私にとっては前の職場から転職したことで新しい職場で得られたことが多かったです。

新卒の時に辛い思いをしたためか、その後の就職先で嫌なことがあっても「あの時よりは断然マシ」と比較することで心が楽になるようになりました。
きっと新卒時の仕事を続けていたら、今頃、身も心もボロボロだったと思うので辞めてよかったと思っています。

新卒時の適応障害の体験があったから、人の気持ちも必要以上に考えて行動できるようになりました。


 

「退職してやっと、心からリラックスできるようになった…」

これが適応障害なんです。

 

もし

  • 適応障害という事を職場に伝えずらかったり
  • 既に退職したいといったり診断書を見せているのに仕事を辞められなかったり
  • もう二度と職場の人間の声を聞くのも嫌で、即日退職したかったり
  • 給料や残業代は払えない、有給消化も拒否する、何なら損害賠償しろと脅されている

方は、ぜひ退職代行を利用してみてください。

適応障害の方が利用するのは本当に珍しくないですし、今この瞬間から心に重くのしかかっている黒いものを、スカッと今日限りで取り除くことが出来ますよ。

 

ちなみに最大手の退職代行サービスSARABAでは、24時間いつでも返信が返ってきます。

仮に夜中に相談しても、すぐに翌朝の退職計画を組んでくれて、そのまま即日退職できます。

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