「手首が痛いので退職したいです」

「指が痛いので会社を辞めさせてください」

腱鞘炎の退職を言い換えるとこうなりますが、傍から見ていまいち痛みが伝わりにくい腱鞘炎は退職理由として認めてもらえるのか、気になっている人が多いようです。

また既に腱鞘炎で仕事が辛く辞めたいことを伝えているものの、上司や社長に真面目に受け取ってもらえず、ズルズルと仕事を続けてしまっている人も多いようですね。

 

そこで今回、腱鞘炎を理由に仕事を辞めた方に、どうやって仕事を辞めたのか話を聞いてきました。

介護や保育士など手を酷使するお仕事につき、腱鞘炎で退職したいと考えている方の参考になれば幸いです。

 

※ちなみに腱鞘炎で退職する際に診断書は特に必要ありません(関連:仕事を辞めるのに診断書は必要?なくても即日退職する方法)。

腱鞘炎で退職した方の体験談(症状、退職理由の伝え方、退職してよかったこと)

※各見出しをクリックしていただくと、内容が読めるようになっています。

看護職で腱鞘炎になったAさん

乳児院で看護職をしていました。
看護職と言っても、業務内容は95%は保育だったように感じます。

それは私にとってはとても楽しいものでしたが。
勤務年数は2年を過ぎた頃です。

シフト時間の過剰な不安定さ(変則の夜勤で4日に1回は30時間、睡眠をとることが出来ませんでした。
私は往復3時間半程かかっていたことも原因の一因だったかもしれません)

私にとってはオーバーワークでした。
待遇は正社員でした。

2年が過ぎた頃、オーバーワークの付けだと思いますが、右手の親指付け根が腱鞘炎になりました。
乳児院には担当の赤ちゃんが30人程いて、日中はその子達のオムツを2時間に一回交換する時間がありました。

なぜそこまでオムツを頻繁に替える必要があったかというと、そこの乳児院は布オムツにこだわっていました。
オムツはずれが良い?などの理由だったかと、覚えております。

実際はすぐにお尻が蒸れてかぶれて、ただれてしまうので、さらに頻繁なオムツ交換が必要になります。
そのため鉛筆を持つと激痛が走る、水道を止めようとすると電気のようなしびれと共に激しい痛みが伴いました。

形成外科では私が職種など言う前に、症状だけ伝えてすぐに医師から「赤ちゃんの世話してる?」と聞かれた程です。
赤ちゃんのお母さんによくみられるそうです。

10年経ったいまでも親指を使わないように注意をする生活です。
それでも勇気を持ってお願いした労災は、指など使わない、わたしの趣味の空手のせいでは?と逃げられ、社員として大切にしてもらえなかった事を悔しく思っています。

期間工のお仕事で腱鞘炎になったBさん

大手自動車製造会社で期間従業員として働いていました。
雇用状態は半年毎の契約でした。

勤務態度も好評だった為、丸々3年働き1ヶ月の空白を過ごした後の再職場への再雇用でした。
仕事内容は、色々な車種の部品に熱処理をする前にネジの部分が縮まないように液を塗る作業でした。

左手で部品を持ち、右手に筆を持ち部品をクルクル回しながらネジの部分に液体を塗る作業でした。
ネジの部分は外側・中側・斜めや、とっても小さな穴だったり、片手でいろんな角度にして作業していました。

この作業を毎日8時間から10時間、土曜日も月に2回出勤でしたので徐々に手首に痛みを感じるようになりました。
始めは湿布を貼り、テーピングに変わり、サポーターを手首に巻いて作業する日もありました。

5年近く過ぎた頃には悲鳴をあげるようになっていました。
でも、生活の為、子供を育てる為には昼夜で稼ぐ事ができる仕事はありがたかったので頑張りました。

2年半が過ぎようとしてる頃に、延長のお話をいただきました。
でももう限界を感じていたのでお断りしました。とても残念だと言っていただき、後半年で3年満期が2回達成できたのですが・・体の痛みは自分にしか分かりません。

退職後は、徐々に痛みも消え今は別の仕事に就いています。
あの時の判断は、間違ってなかったと思っています。

今でも少し後遺症が残っているCさん

以前、ジュエリーを作成する会社で5年ほど勤めておりました。
当初は正社員で生産管理職として事務の仕事をメインにしていたのですが、どうしても納期に間に合わない際や職人さんに無理な納期でお願いする際は、お手伝いという形で工場に入り、金属を磨く仕事もする様になりました。

職人ではないので細かいところはできませんが、初期工程である大まかなところをお手伝いしていたのですが、その磨き作業がとても力が必要で腱鞘炎になってしまいました。
磨く物を手で持ち、回転する磨く機械に押し当てるのですが力を抜くと機械に持っていかれてしまうので相当力を入れていたと思います。

またジュエリーなので小さく、持つ場所もあまりないのですごく苦労していました。
最初はお手伝いとして週に1回程度しか工場には入らなかったのですが、「磨きができる」ということで週の半分くらい何かと工場の手伝いに入る様になりました。

1日中磨いていると1日の終わりには両手の親指の感覚がなくなってしまいました。
そのうち常に痺れいる感覚になり、少し震えが出る様になってしまいました。

病院を受診すると腱鞘炎と診断され、会社にもその旨を伝え工場には入れないと伝えましたが、何かと「納期」や「他にできる人がいない」ということを理由に工場を手伝って欲しいと言われ、「これが最後」とも何度も言われましたがその後も何度もお願いされたので、退職したいとお伝えしました。

上司や社長には止められましたが、何度もきついと伝えていてたのに半笑いで「お前しかできない」と言われ続けてきたので意志を貫き退社させていただきました。
今は日常ではほとんど感じませんが、たまに手を駆使してする作業をした時等は親指の感覚がおかしくなる気がします。

「このまま続けていたら痛みが出てくる」と病院の先生にも言われていたので、あのまま続けていたら今もっと後遺症も残っていたと思います。
悪化する前に辞められてよかったと思っています。

レジで腱鞘炎になり夜も眠れなくなったDさん

仕事内容、雇用形態
レジチェッカー、パート

勤続年数
5年

 

最初は右手の親指の動きがぎこちなく、それをカバーするために手首全体で動きを修正したため、右手全体が痺れたようになりました。
寝ていても痛みで目がさめるようになりました。医者に行きましたが、痛みを緩和する塗り薬を貰っただけでした。

直属の上司に「誰にでも不調はあるから」と言われて、最初のうちは問題にされませんでした。
私が働いていた食レジは人数がいつもギリギリで、「退職されても補充できないから」と退職を思い留まるように言われました。

 

結局、医者から診断書を貰って、「今の仕事を続けていたら症状は良くならない」という医師の言葉を繰り返し、退職にこぎつけました。
上司はいい顔をしませんでしたが、同僚が「自分の体は自分で守らないと」と言ってくれるようになり、退職ができました。

退職して、無理な右手の動かし方をしなくて済むようになり、右手の痺れ感が薄れてきました。
バネ指の手術はその後受けましたが、手術後の経過は良好で、今では夜も熟睡できます。

頑張って退職しなかったら右手が痺れたままになっていたと思うので、退職できて良かったです。

悪化すると手術しかないと言われたEさん

右側の手首が慢性的に痛みました。整形外科に行くと腱鞘炎と言われました。
リハビリで電気マッサージをしました。

しかし、痛みは治まりませんでした。
症状がひどくなると、手術をしないといけないと言われ、戸惑いました。

ファミリーレストランでアルバイトしていまして、店長さんに腱鞘炎になった事と重たい物は持てない事と、症状がひどくなると、手術をしないといけない事を伝えました。
そして、退職させてほしいと伝えました。

店長さんは、手術の事にびっくりされて、退職を許可してくれました。

 

ファミリーレストランですので、シフトが組んでありまして、そのシフトに名前が載っているまではアルバイトにでまして、それ以降は退職させてほしいと店長さんに伝え、人手不足も有りまして店長さんは渋い表情をしていましたが、了解してもらいました。

ファミリーレストランの接客は重たい物も持たないといけなくて、わりと重労働でしたが、私は昼間に本業の工場で派遣社員として働いていましたので、ファミリーレストランのアルバイトは掛け持ちでアルバイトしていまして、工場の仕事だけで済み、いつしか、腱鞘炎の症状も治まりました。

品出しで重いものを持ち腱鞘炎になったFさん

仕事内容、雇用形態

スーパーの品出し業務、主に日配品と冷凍食品を担当
雇用形態はアルバイト

勤続年数
勤続約3年

 

開店前にある程度品出しを完了させていなくてはならないので、スピードを上げて作業をしていました。
お豆腐やヨーグルト、飲料品など普段はあまり重く感じませんが数多く取り扱うと、徐々に疲労や痛みを伴うようになりました。

シップなどで対応していましたが、病院に行き腱鞘炎と診断されました。

スーパーの職長である主任(正社員)に仕事を辞めたい旨、腱鞘炎がひどい旨を申し出ました。
シップやサポーターをして仕事をしていた姿を先方も承知しているので。特に驚かれもせず「ああ、そうですか」といった感じでした。

一応慰留があり、他にやれそうな作業を探すといっていただきましたが、スーパー内の他の仕事も今の状態では厳しく退職を了承していただきました。
腱鞘炎で仕事上のけがと言えなくもないですが、労災の申請などはもちろんしませんでした。

腱鞘炎は悪化すると痛みが長続きし、なかなか治りづらくなるそうです。
逆に治療を継続すれば改善していくとのこと。

やはり体が資本。いろいろな仕事があるなかで、悪化させながら仕事続ける意味がありません。
治療に専念できたことが一番でした。

腱鞘炎で箸が持てなくなったGさん

仕事内容、雇用形態

商業施設内のパン屋での、製造、販売のパートです。
一日六時間、週に五日の勤務でした。

勤続年数
試用期間も含め、約二年でした。

 

業務で少し重い鉄板を両手に1枚ずつ持ち上げ、パン焼き窯への出し入れを午前中いっぱいするのと、午後からは大量の汚れた鉄板の掃除。
どちらも手指や手首を酷使するので、手から肩までの痛みが出て食事で箸が持ちにくい、落とす。

夜にはしびれるような痛みが出て眠れないこともありました。

幸い店長が理解のある方で、発症した人にしか解らない辛さがあると理解をしてくれました。
パート仲間にはぴんと来ないといった曖昧な表情をしながらも、仕事が出来ない気持ちになったのなら仕方がないというようなことを言われました。

平和にというか事務的にというか、申し出て受理されてから一か月後に退職させて頂きました。
退職までの間に針のむしろというほどのこともありませんでしたが、中にはやはり私のことを我慢が足りないと思ってるんだなと感じさせる雰囲気もありましたが、退職が決まったことになっていたので、受け流すことができました。

腱鞘炎は安静にするのが一番なので、痛みがグッと楽になった事です。
時間に追われることもなく、リラックスしてマッサージや、鍼灸の治療に専念できました。

パン屋の仕事は好きな仕事だったので退職は残念でしたが、パンは家でも焼けます。
完治は無理そうですが、痛い時間が減ったのは素晴らしい事です。

医師に仕事を続けながら腱鞘炎を治すのは無理だと言われたHさん

仕事内容、雇用形態
ハンバーガーショップのアルバイトの店員です。

勤続年数
2年

 

ハンバーガーショップで、いつも玉ねぎのみじん切りを毎日包丁で行っていると、腕が痛くって包丁を持つのも辛い状況になりました。
しかし、辞めるのが嫌で病院でシップや痛め止めを処方してもらいながら働き続けました。

通っている整形外科の先生から、仕事を続けながら腱鞘炎を治すのは無理だと言われて、店長に腱鞘炎のために辞めたいと伝えたると、玉ねぎを切るのを他の人と交代しながらやるように言われましたが、自分で限界を感じていたので断りました。

腱鞘炎で通院しながら通うことに無理だと感じて、辞めさせて下さいと強く言ってその言い分を通して辞めることが出来ました。
最終的には、無理をさせてしまったと店長から謝罪の言葉ももらって円満に退職出来ました。

アルバイトを退職してから、酷い腱鞘炎は少しずつ直って行き今では痛みもなくなっています。
もし退職していなかったら、もっと悪くなっていたと思います。

退職するのは悩みましたが、痛みのない生活は幸せで良かったです。

 

いかがでしたでしょうか?

私もこちらのサイトで数々の退職理由を目にしてきましたが、指や手首を痛める腱鞘炎は退職理由としてスムーズに受け入れられやすい方だと思います(それでもアンケートにある通り、真面目に受け取ってもらえないケースも多いですが)。

 

上の体験談でもある通り、腱鞘炎は休まないと治らないどころか悪化する一方で、続ければ続けるほど今の痛みはひどくなり、また治るまでに時間を要するようになります。

仕事を辞めた後でも後遺症で箸が持てない方もいるくらいですから、もし腱鞘炎で仕事が休めない場合は一度退職して体に負担のかからない仕事をする方が、一人の人間として絶対に正しい選択だと思います。

もし腱鞘炎で退職したいことを伝えにくいなら、退職代行サービスも

もし

  • 腱鞘炎で仕事を辞めることを伝えにくかったり
  • 退職したいことを伝えているのに、いつまでもダラダラ引き延ばされたり
  • 退職後に嫌がらせをされるのが怖かったり
  • 給料を払わない、有休を使わせない、損害賠償するなど脅されている

場合は、合法的に即日退職できる退職代行サービスというものを使ってみてください。

 

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