ブラック企業が今どれだけ日本に存在するかは、もはや触れる必要がないくらいだと思います。
アルバイト、パート、正社員、派遣社員、契約社員など関係なくブラック企業だらけですよね。
少し実際に聞いた例を紹介してみると
- 暴力をふるわれる
- 仕事は全て丸投げで指導は一切なし
- 朝礼で社訓を言わされる
- 賃金未払い、賃金カット
- パワハラ
- いじめ
- 上司がとにかく威圧的
- 一人の負担が大きい
- 就業規則と全く違う
などで、その結果うつ病になってしまった方も沢山いました。
私の周りにもブラック企業に勤めていて、口癖のように「辛い」「きつい」「逃げたい」「誰かに助けてほしい」と漏らしている人がいます。
ただし、いざブラック企業を辞めようと思っても、簡単には退職させてくれません。
- 相談を軽くあしらわれる
- 強く引き止められる
- 有給消化をさせてくれない
- 最後の月の給料や退職金を払わないと言い出す
などなど、ブラック企業は辞める時までブラックです。
また、そもそもブラック企業は社風で退職を言いずらい雰囲気があったりもします。
ですからブラック企業の辞め方って、退職理由や退職の切り出し方に少しコツがいるんです。
そこで今回、実際にブラック企業を辞められた方にアンケートを取ってみました。
具体的には
- 退職したいと思ったブラック企業の体験
- 退職(転職)理由の言い方・伝え方
- 辞めると伝えたタイミング
- 退職届にはどう書いたか
- ブラックで仕事を辞めて良かったと思ったこと
です。
実際にブラック企業を辞めた方が、どういう風に退職を伝えのか、辞める準備は何が必要かなど、転職方法の参考になると思います。
その後に、
- 辞めたいといっても会社に辞めさせてもらえない人
- どうしても自分からは「辞めたいです」と言いづらい人、辞めづらい人
- 退職拒否や引き止めを、自分一人だと振り切れる自身がない人
- 今の職場が最悪で、いますぐ逃げたい、即日退職したい人
- 損害賠償をすると脅されている人
- 給料や残業代は払えない、有給も使わせないと言われている人
向けに、「退職代行サービス」というものも紹介します。
いま職場がブラック企業で、辞める勇気が出ない方の参考になれば幸いです。
ブラック企業を辞めた体験談:退職・転職理由や言い方、辞めてよかったことなど
※枠内をスクロールしていただくと読めます。
美容系の会社で23歳で営業として入社した会社がブラック過ぎて入社して2ヶ月と経たない内に退職してしまいました。
やめようと思った理由は主に賃金からの拘束時間が全く合わなかったことです。
当時は就職氷河期で私もなんとかそのブラック企業に内定をもらったような感じだったので、どこもそんな感じだったのかもしれません。
まず入社してビックリだったのは9時18時の勤務時間の会社だったはずなのに、掃除のために一時間前には毎日出社しなくてはならなかったことです。
しかも18時になっても帰らせてもらえないのは当たり前で、20時からの会議や飲み会、勉強会で会社を出るのがいつも23時くらいになってしまっていました。
しかも残業手当は一切出ずに、基本給の15万のみだったためせっかくのお休みでもお金がなくて何もできないという感じでかなり不満でした。
しかも休みも一カ月で8日あるはずなのに、会社の命令で強制的に参加した泊りがけの研修を一日公休扱いにされ、休みが減るなんてこともありました。
そんな不満だらけだったこともあり、やめようと思って先輩に相談したのですが、結局社長・専務・先輩みんなが怒っている中で話し合いは一向に進まず、やめますと力強く言って無理矢理会社を出てしまいました。
もともと先にやめた子からかなりやめづらい雰囲気になると言われていたので、アレしかやめる方法はなかったと思います。
やめる理由はただしんどいから続けられないと言いました。
そんなやめ方なので、退職届は書いていません。雇用保険も加入させてもらえていなかったので、そういった会社上の書類もやめた後記入を促すような連絡はありませんでした。
新しい会社に入ってやめてよかったことはたくさんありますが、1深夜帰宅がなかったこと2給料が上がったこと3休みがキッチリしていることが挙げられます。
新しい会社は保険の営業だったんですけど、やはり休みもあって給料も保証されていて良かったです。
無理してあのブラック企業にいなくて良かったと思います。
短大を卒業後(20歳)、バス会社へ入社。
雇用形態:正社員 職種:一般事務
主な仕事内容は、電話対応、窓口対応、ツアーの申し込み受付、旅行手配等
添乗員の人数がわりと少なく、どうしても厳しい時は添乗にも出てもらうこともあるかもしれないが、滅多にありませんと面接時に聞いていました。
しかし、入社2ヶ月後辺りから週に2?3回くらいのペースで添乗に行かされるようになりました。
添乗の研修もたったの1回。
また観光場所の資料もほとんど用意がなく、添乗に行く日が決まってからは、徹夜をして観光地の情報を調べてノートにまとめていました。
せめて4~5日猶予があれば、徹夜することもなかったですが、添乗に行くかどうか分かるのは早くても2~3日前。
もちろん添乗手当等の手当も一切ありませんでした。
ツアーによりますが、夜中の3時に出社し、会社に帰ってくるのが20時過ぎ。
とても身体的に辛かったです。
しかし、ツアーに参加されるお客様はみんな優しく、私を指名したいとまで言ってくださる方々もいらっしゃって、お客様のおかげで頑張る事が出来たんだと思います。
しかし、体力的にも精神的にももう限界でした。
なぜなら、社長のパワハラもあったからです。
理不尽な事で怒られるのはもちろんのこと、他の人の失敗を私のせいにする、常に監視される等、数えきれません。
その為、その会社は人の入れ替わりがとても激しかったです。
1年は頑張ろうと思っていたので、入社一年後、社長へ辞職したい旨を伝えました。
思っていたこと、我慢していたこと、全て話そうかと思いましたが、退職日までさらに嫌な雰囲気の中で働くのも嫌でしたので、体調不良を理由に退職したいと伝えました。
辞表には一身上の都合により辞職したいと書きました。
特に引き止められることもなく、すんなり退職することが出来ました。
退職日の1ヶ月後くらいに再就職が決まり素晴らしい職場に転職することが出来ました。
転職して良かった点はたくさんありますが、まず精神的、体力的に楽になったこと、年に2回賞与がちゃんと出ること、そして睡眠をちゃんと取れるようになったことです。
あのまま転職せずに働いていたら、きっと鬱病になったんではないかと思います。
私は26歳、男性で営業職をしておりますサラリーマンです。
新卒で私は某大手住宅設備機器メーカーに入社しました。
あることが原因で辞めることになり、地元の事務器販売店で働いております。
私がやめようと思った理由には2点あります。働き方が合わない点と、雰囲気が合わない点がありました。
1点目の働き方が合わない点ですが、具体的には休日出勤と日々の残業が多い点です。
休日出勤が多いのには理由があり、お客様が土日働いていらっしゃる会社さんが多い為、携帯電話に電話がかかってきます。
電話にでなければ、お客様の仕事がストップしてしまうケースが多い為、罪悪感があり電話に出ると仕事をせざるおえない状況になるわけです。
2点目の雰囲気が合わない点は、具体的には社内の風通しが良くないことです。
部下の面倒を見れるほどのキャパシティが上司になく、相談した際も、レスポンスが遅かったり、面倒くさそうにあしらわれました。
そのような態度を見ていると、相談する気がなくなり、風通しが悪い雰囲気になりました。
辞める決断がついた部分は、2点あります。
1点目に、私がミスしたことに対して会社からはそのミスした費用は出せないと言われ、お客様先に自腹で現金を払いました。
2点目は、自分自身の原因ですが、免許停止処分を受け、一ヶ月半運転できないことを上司に告げると、全てのお客様の担当を外されました。
愛知の田舎の方で営業しておりましたので、車運転ができなければ厳しいです。
しかし、免停期間を待っていただけず、私は仕事をなくしました。
その時、会社全員からもうお前は必要ないと口頭では言われておりませんが、雰囲気で感じました。
私は辞めざるをえませんでした。
言葉の暴力はありませんが、雰囲気の暴力を受けました。
退職届等は書いておりません。
新しい職場にて、前の職場をやめてよかったと思ったことは、やはり自分の裁量で仕事をできることが多いこと。
ミスしても自腹でお金を支払うことがないこと。
風通しが良く、仕事がスムーズに進めることができます。
転職することは、恥ずかしいことではございません。
思いきって、新しい世界に飛び込みましょう。
22歳、正社員として大学卒業して採用された会社でした。
仕事の内容は接客業でした。
辞めようと思った原因はいくつかあります。
有給がない。事実上あるが冠婚葬祭でしか土日が休めない。どこで、どこの式場での結婚式人参加するのかなどこと細かく話さないと休みがもらえない。
有給の話は社長から圧力をかけられ辞めた社員もいるので話すこと自体タブーとなっていました。
社長、マネージャーの威圧的な態度。両人とも気分で言う事が変わる人たちだったため、言ってることが毎回違い振りまわされている状態。
同期からの実績の横取り。
ノルマ達成のため営業をかけていた内容をあたかも自分でとったように報告し横取りされるなど。
お店の営業時間が19:00までなのに、19:30以降でないと残業代がつかず、19:30近くになるとタイムカードを押して残業がつかないようにさせられた。
少しでも残業がつくとなぜそこまで作業に時間がかかったのか問い詰められた。
急なシフト変更の際も事前連絡がなく、「シフトをきちんと確認していないお前が悪い」と言われた。確かに私にも落ち度はあったかもしれないが変更があったことを告知する義務はあると思う。
退職したいとストレートに伝え、結婚が決まっていたので嫁ぎ先の生活スタイルに合わせるため辞めたいことなどを伝えました。
辞めるまでに半年かかりました。辞める年に産休に入った方がたくさんいたこと、新人が入ったことで一人前になるまでなどいろいろ言われ辞める期限を延ばされた。
辞表はネットで調べて書き、店長に退職願を渡しました。
新しい職場に転職してよかったことは
1.有給がしっかり取れること。冠婚葬祭などウソをつかなくても有給が消化できるようになったこと
2.土日に休みが取れること。疎遠になっていた友人たちとの交流がまたできるようになったこと、恋人とも時間を共有できるようになり楽しみが増えた。
3.ノルマのない仕事に就いたため実績を奪われる心配がなくなったため、心に余裕ができた。
賃金は以前より安くなってしまったが、心にゆとりがうまれました。
ブラック企業が原因で仕事を辞めた時の年齢は20代前半でした。
雇用形態は正社員です。
辞めようと思った理由になった具体的な体験は、接客業の事務員として入社した会社の話です。
入社後すぐに無断欠勤していた先輩が引き続きが終了次第退職することとなり、社長の管理の下、引き継ぎ業務を行なっていました。
会社にも私にも引き継ぎが全て終わったと言って、社長もその人と何度か引き継ぎ内容を確認して退職しましたが、いざ1人で業務を進めていくと全体の4割ほどしか引き継ぎがされておらず社長とマンツーマンで業務をすることとなりました。
入社3ヶ月は試用期間として働いていましたが、引き継ぎ業務がちゃんとされていなかったり、もう1人事務員がいましたが、介護を理由に退職してしまったことで1人で全ての事務作業を行わなければいけなくなり、社長の気分で仕事内容が変わる事に慣れずにいましたが、「仕事がいつも遅い」との理由で入社半年間は色々なことばでいい包まれアルバイトとして働いていました。
その後、秘書の検定を取れば正社員として採用するときに事務員ではなく秘書として採用したいから勉強し検定を受けるように言われ取得しましたが、「普通、試用期間は3ヶ月なのに半年かかったから」との理由で事務員の正社員としての採用となりましたが、契約書には契約期間が書かれており資格取得や業務内容によっては昇級があると書かれており、確認しようとしましたが、具体的な返答はなく不信感がありました。
元々、友達が入社しておりその紹介で入社しましたが、友達も同様の内容が記載されていました。
友達の紹介でもあったので、不信感が日に日に強くなっていましたが友達の顔もあったのでしばらく様子を見ていましたが、日に日に社長のパワハラがひどくなり、勤務時間も長く、休日出勤は当たり前、休日でも社長の長電話に対応しないといけなく、休日で遊んでいると怒られるようになりました。
そして、事務員として働いていたのに、接客スタッフが人手不足だからとそっちも行うようになり誰が見てもオーバーワークなのに「あなたはいつも仕事が遅い」などと言われ続け、ついに体調が悪くなり仕事ができる状態ではなくなり仕事中でしたが、異変に社長も気づいて病院へ行くと病院の先生にストレスで体調が悪くなっているから休みか退職するように強く言われたのがきっかけで退職を決意しました。
しかし、入社してから退職していった従業員は退職届けを提出してもやめられないので、まともな退職の仕方をしておらず、働いているスタッフが苦労しているのを知っていました。
その為、社長に「遠距離恋愛中の人と結婚することとなったので寿退社したい」と伝えました。
もちろん、すんなり辞められるわけがなく、引き止められ部長からはネチネチと退職拒否するようなことを言われ続けなんとか退職きないように1ヶ月ほど引き止められ続けられましたが、会社や社長のやり方にはついていけない。
低い給料で、体調を崩してまで続ける仕事ではないと思い、何を言われても自分の気持ちは変わらなかったので、社長たちの気分を害さないように言い続けて、引き継ぎ業務内容書を作成し提出すると「あなた、こんなに1人で仕事抱えていたの?」と社長に言われました。
その言葉に私は驚きましたが、それがきっかけで社長も了解してくれ、退職することができました。
20歳で正社員、カウンター営業職で入社した旅行会社が酷いブラックで約2年で退職しました。
まず待遇面があまりにもお粗末でした。
社長は立派なお屋敷に住んでいるのに、社員は充分な報酬を得られませんでした。
搾取以外の何者でもなかったです。
休日に掃除のため駆り出され、朝から23時ごろまで、無報酬サービス出勤させられたこともあります。
また、全社ミーティングと称して、朝の7時位から本社に集められたこともあります。
自分達の支店か1時間位かかるので家を出るのは早朝です。
そしてまた戻って通常業務スタートでした。
勿論早朝会議分は無報酬です。
接客のタイミングで残業になる事は日常茶飯事でしたが、残業手当がついた事は一切ありませんでした。
セールス上位に与えられるはずの特典についても、一切会社側から打診もなく、こちらから申し出てようやく対応するという酷さでした。
仕事上のミスなどがあり、会社側にお金の負担がかかる事や、レジのお金が合わない場合など、会社は知らんぷりで、社員が自腹というあり得ないルールでした。
そして尊敬できる上司が1人もいなかった事も残念な点でした。
過酷な労働条件に対して報酬が少ないのもあったのか、レジのお金をしょっちゅう抜いていたお金にルーズな人がいたようです。
そして自分の手配ミスを、下の者のせいにして自分を正当化するろくでもない上司もいました。
長く勤務している人間の資質の低さにびっくりでした。
元々長く勤務するつもりでなく、夢のためにお金を貯めていたので、会社のブラックについては触れず、一身上の都合という事で退職しました。
有休も1日も使わせてもらえず、会社側には有利な話ですからすんなり辞めれました。
時間があれば労働監督基準署に相談すれば良かったです。
が、今後の事も考えて会社を敵にするような辞め方は出来なかったです。
少し間を挟んで事務職に転職しました。
前職と比べると随分働きやすくなりました。
残業手当、土日出勤手当、出張手当が当たり前ですが全て支払われるようになり、安心しました。
働いている方の能力が非常に高く、人間的にも尊敬、信頼できる先輩に沢山めぐり合うことが出来たのも良かった点です。
有休も少しは使える状況で、ようやく最低限度の当たり前の権利を得ることが出来たと思います。
私は短大の時に資格を取得し、卒業後は地元の幼稚園へ就職しました。
その幼稚園を選んだ理由は、ずばり「家から近かった」からです。今思うと、もっと慎重に就職先を検討すればよかったなと思います。
私の下に弟と妹がいたので、小さな子供と一緒にいるのが大好きでした。
「いつも小さい子と楽しく過ごせる」と思っていたのですが、仕事はそんなに楽なものではありませんでした。
4月に就職して、そこから1年間は、担任を持つ先輩のサポートをして仕事を学びました。
色々と大変なことはありましたが、先輩たちが優しくフォローしてくれたので仕事も早く覚えることができました。
「この仕事大変だよ」と何度も先輩たちに聞かされていましたが、慣れてしまえば大丈夫そうだなと、その時は思っていました。
しかし、翌年の4月に担任を持つと、一変しました。
誕生会、音楽発表会、夏祭り、入園式、卒園式、運動会、お泊まり会、七夕、芋掘り会…毎月いくつものイベントがあるのですが、その準備が想像以上にものすごく大変でした。
昼間は園児たちを見なければなりませんから、夕方に園児たちをバスで送ってからイベントの準備をします。
ところが、準備しなければならないものがあまりにも多く、到底勤務時間内には終わりません。
終わらないからといって、手伝ってくれるだけの余裕のある人は他に誰もいません。
やむなく自宅へ仕事を山ほど持ち帰り、夕食後に深夜まで仕事をする日々が続きました。
大きなイベントの直前には、何度も徹夜で作業したこともあります。
短大時代の友人に聞くと、時間給で働くヘルプの方が何人もいるので、仕事を分担できてそれほど大変でもないよと聞かされました。
私が勤める幼稚園にヘルプは一人もいませんでしたから、自分の担任するクラスは全て自分で回さなければなりませんでした。
毎日深夜までサービス残業をさせるブラック企業そのものでした。
何度も園長先生に「仕事が終わらないのですが」と相談したことがありますが、いつも「いままでもみんなそうしてきてるから」と取り合ってくれませんでした。
1年目に先輩に言われた「この仕事大変だよ」の意味が、2年目に痛いほどわかりました。
3年目以降はもっと効率よく仕事をこなせるかもしれないと思いましたが、そうでもありませんでした。
多少仕事は早くなりましたが、新しく入ってきた後輩の面倒を見るという仕事が増えてきて、相殺されました。
それでもなんとか6年間は頑張りました。
私はほとほと疲れ切って両親に相談すると「そうだね。今までよく頑張ったね。」と退職の意向を理解してくれました。
「一身上の都合」の理由で退職願を提出し、その年度の終わりの3月に退職しました。
当時、彼氏がいましたが、結婚はもう少し先になりそうだったので、新しい会社へ転職しました。
大手企業が運営する販売店だったのですが、さすがに就業規則がしっかりしていて、サービス残業は一切ありませんでした。
残業自体があることもあったのですが、当然残業代が支給されました。
年収的にも幼稚園時代より150万円ほど多くなり助かりました。
一緒に働いていた女子社員たちと平日の仕事終わりに食事に行ったりする時間ができて、毎日楽しかったです。
家に帰って両親や兄弟とのんびり過ごす時間を作れたことも嬉しかったです。
トレーニングジムを運営している会社で人事総務をやっていました。
低賃金で残業が多いことは勿論、副社長と人事部の女がW不倫をしており、仕事ができないその女ばかりが評価され、仕事のミスを指摘しても絶対に認めずこちらが非難されていました。
また、パワハラも横行しており、週に何回も飲み会があり、断ると「そういう態度なら今後の付き合い方変わってくるぞ」と脅されたり、上司宛の電話を取ったので保留にして名前を呼んだら返事が返ってこなかったので、聞こえなかったのかな?と思いもう一度名前を呼んだら「いま出れねーよ、見たらわかるだろ」と怒鳴られたり。(最初に呼んだ時点で折り返しするとか一言言ってくれればいいものの、、)
半休制度もなく、ストレスで体調が悪くなっても病院に通いづらく、全休か欠勤控除されるかしかなかったです。
全社員対象の会社イベントが何故か休日にあり、それも強制参加のくせに休日出勤扱いにはならなかった。
小さな会社だったので制度もしっちゃかめっちゃかで、社長や副社長の思いつきでろくに検討もせずに導入した色んな人事システムがありそれぞれが相互作用せず、同じ情報を色んなシステムに手入力しなければならず二度手間三度手間は当たり前。
それに対応しなければならず、文句を言われるのはもちろん人事部。
他の部の上司もろくに労基法等を知らず、「この人明日入社するからよろしく」と勝手にどこの国籍かも分からない外国人に採用を出していたりして、採用関係のトラブルが非常に多かった。
お客様に対してもそんな態度で、クレームがきても横柄な態度で対応し、しかもそれを武勇伝のように語っていました。
計算が複雑な給与計算も全く未経験の人事部にやらせているため、案の定計算ミスが多発してました。
社員が多いのに給与計算をたった2人でやっていたので、毎月給与計算の時期には土日出勤が当たり前になっていました。
人事部の上司は最終的に精神的にやられ病気になり、ガリガリになっていました。
大学を新卒で卒業して入社した広告代理店。
営業で入社したのだが、まず始まったのが飛び込み営業。
入社した会社では新人への顧客の引き継ぎが一切無くとにかく顧客を探す事からスタート。
毎日100件飛び込み営業をしては断られ、怒鳴られ。会社に戻っては電話で営業をする。
朝礼は朝の7時半(就業時間は9時)からでお客様との商談の練習を毎日。
9時から17時までは外回りをし、帰ってきてからやっと事務作業や提案する広告の会議、上がってきた広告のチェックなどをするため帰るのは23時~24時、毎日実質14、5時間は働いていた。
見込み残業が毎日2時間分付くしくみだったため、月で80~100時間あまりの残業代は未払い(というより換算されない)状態でした。
タイムカードも強制的に22時で切らされ、それ以降の残業は基本認めないとのこと。
とはいえ仕事が残っておりこのまま退社してしまうと翌日の仕事に支障が出るために家に持ち帰ったりこっそり黙って残業をする羽目に。
業務量が多く、一人の負担が非常に大きかった。
それでも尊敬出来る上司に励まされながら仕事を続けた4年目、突然の異動があり上司が替わった。
その上司はとても威圧的で機嫌が悪いときは怒鳴り散らす威圧的な上司だった。
毎日疲労してゆく中で周りの同期達もうつや体力的な問題で次々と辞めていった。
そんな折、「将来のキャリアプラン」を書いて提出するという課題をもらい「会社での昇進プラン」を書いたところ上司に「こんなこと思ってないだろ」と書き直しを命じられ、お盆休みに。
親に「仕事を辞めたい」と伝え、お盆休み明けに上司にキャリアプランを再提出。
「やりたかった趣味に専念したい」と伝え退職願を提出。
書き方はネットで見たものをそのまま書いた。
受理はされたものの今年一杯は働いて欲しいとの要望。
私は翌月退社を望み、会社もそれを了承。
数年趣味に専念した後に起業。
非常に厳しい会社で働いていたのもあってか、メンタル面では鍛え上げられ、営業で毎日遅くなるのも苦にならなかった。
むしろ会社にいたころと違い全てが自分に返ってくるため楽しかった。
また、威圧的な上司がそばにいたため、現在顧客からのクレームがあったとしても柔軟に対処出来る様になった。
加えて、営業時代一生懸命働いていたのを当時の顧客が覚えていてくれてて、「そんなに一生懸命やってくれるのであればうちに転職しないか」とのお言葉を頂いた事もあった。
働いている当時は毎日が地獄の様だったが、そんな経験をしたために普通に働く事にストレスが無いことは良かった事かもしれない。
32歳の頃、地元で有名な企業の2代目社長に「飲食店の展開をする新規部門を立ち上げるので手伝ってくれないか?」と誘われて、異業種から飲食業へ転職しました。
もともと食べることは大好きで、休日や長期休暇を利用しては遠方のレストランまで足を運んでいました。
知り合いの社長さんの頼みでもあるし、食べることも好きだからと、妻を説得しての転職でした。
まずはフレンチレストラン3件を都内に出店しました。
店舗スタッフとして正社員を9名、アルバイトを20名ほど雇用しました。
ランチ後のアイドルタイムが2時間ありましたが、正社員の勤務時間帯は朝9時から深夜0時ごろまでと非常に過酷なものでした。
私は全体的な運営のサポートだったので店に立つことはありませんでしたが、それでも毎日13~15時間は働きました。
オープンから1ヶ月が過ぎて給与計算する段階になって社長が「残業代は払えない」と言ってきました。
私を含めた正社員達の残業は、1ヶ月で200時間以上にも上りました。
みな一生懸命働いた結果の残業です。手を抜いていた社員など一人もいません。
スタッフの数が足りないからこその残業だったのですが、社長が残業代をケチって結局払いませんでした。そ
のことで正社員の心は一気に離れ、翌月からチラホラと「一身上の都合」で正社員が職場を去っていきました。
それからは正社員が辞めて新しい社員を募集することの繰り返しでしたので、正社員の負担はどんどん増えてきました。
各店舗の投資シミュレーションをしっかり行っていなかったのを知ったのは、オープンから半年後のことでした。
「もっと売り上げがあると思ってた」と社長が告白しました。
「それは会社の見通しの甘さであって、今一生懸命働いている社員には責任はないでしょう」と申し出ると、「まあ飲食店なんて長時間労働が当たり前みたいだし」とヘラヘラ笑いました。
それを見て私は幻滅し、自分の人生における傷が深くならないうちに退職しようと決意しました。
オープンから1年半で、初期の正社員がすべて辞めてしまい、私もそれを機に退職しました。
過酷な労働にもかかわらず残業代を支払わない、そんなブラック企業体質に疑問を持たない社長に自分の人生をかけることはできませんでした。
あくまでも一身上に都合で、という表向きの理由を退職届に書きましたが、本当は会社がブラックだったからです。
社長は「給料を上げるから」と引き留めにあいましたが、そんな目先のことでは私は納得しませんでした。
飲食業はコリゴリだったので、退職後は技術系の仕事に就きました。
大手製造メーカーの子会社だったのですが、始業時刻も終業時刻もしっかりと守られていました。
終業時刻になると上司が「早く帰れ」と言ってくれたので、周りの目を気にせず早々と退社することができました。
残業がある場合には、15分単位できっちりと清算してくれました。
家族との時間も増えて、給料も増えてとても良い転職でした。
薄給と長時間労働が当たり前と思っている飲食関係の企業は、今は良くても将来的に発展することは絶対にないと思います。
トップをはじめとした意識の大きな改革が必要です。
(このほかにも派遣社員や契約社員、パートやアルバイトでブラック企業を辞めた方も沢山いました。
またようやく内定をもらって新卒で新入社員として入社した会社がブラック企業で、研修中・試用期間中に辞めてしまう人もいました。
また公務員でブラック企業のような状況に置かれて辞めた方もいました)
いかがでしょうか?
体験談を読むとわかるように、みなさん退職後に「もっと早く転職しておけばよかった」「働くのがこんなに楽しい事だったなんて…」とおっしゃっています。
退職しない限り、職場環境はこれから何年もずっと変わりません。
数年後に「もっと早く辞めていれば…」と思わないように、勇気を出して退職してみてもいいかもしれませんね。
仕事を辞める方法は、以下に紹介する記事が参考になると思いますが、もし
- 自分から退職を切り出せない、
- 辞めたいといっても強い引き止めに合う
- 即日退職したい
という場合は、この記事の最後までお進みください。
自分で退職するコツ
退職時のよくあるトラブル解決法
もし自分から退職を切り出せない、強い引き止めに合う、即日退職したいなら…
この記事では、ブラック企業を辞めるコツをいくつかご紹介しました。
しかしどの方法も、自分で直接退職を伝えるのが前提となっていますよね。
しかし相手はブラック企業、退職を伝えようものなら何をされるかわかりません。
逆上してキレるかもしれませんし、今まで以上に嫌がらせをされるかもしれません。
また仮に退職できたとしても、退職後に転職に必要な書類を送ってこないなどの嫌がらせを受ける可能性もあります(実際よくあります)。
そんなこんなだと、転職も怖いですよね。
かといってブラック企業をバックレるという方法を取ると、それこそほぼ確実に懲戒解雇、給料未払い、転職に必要な離職票を送ってもらえない、などの嫌がらせが待ってます。
そこで便利なのが、退職代行サービスです。
退職代行サービスは私たちの代わりに、会社に退職、有給、未払金などを伝えてくれるサービスです。
私たちが代行業者に連絡した瞬間から退職後まで、すべてのやり取りは代行業者を通じて行うことになります(荷物の返却も郵送等で行います)。
私たちは今この瞬間から、会社の人と会うことが無いのはもちろん、声も聞かずに即日退職できるわけです。
でも、退職代行サービスでも退職を失敗するんじゃないか不安ですよね。
実は退職代行サービスの成功率は、99%以上です。
それはなぜかというと、退職代行業者には”もしも裁判になった時、会社側の無理な主張を連絡記録として提供できる”という側面があるんです。
要は会社のブラックな面を第三者に公開される可能性があるので、「それならもう、何も言わずに今すぐ辞めてくれるだけでいい」となるわけです。
他にも、以下のような特徴もあります。
- 今この瞬間から、一言も会社の人と話さず退職できる
- 退職後も連絡しないように伝えてくれる
- これまで退職を拒否されたことがない
- 訴えられたこともない
- 最短で即日退職可能
- ほとんどの場合は有給も給料ももらえる
- 退職後の手続きのサポートもしてもらえる(必要な書類もすべて会社に送るよう伝えてくれる)
自分が退職できる状態かどうかの無料相談は、24時間…つまり今この瞬間でも出来ます。
ブラック企業と今この瞬間から一言も話さず退職したい場合は、以下の記事を読んでみてください。