日本人はよく勤勉だと言われたり、働くことは何よりも素晴らしいといった風潮があります。
ただ海外では、長時間労働で働きすぎて死んでしまった人を「Karo-shi(過労死)」と呼ぶほど、日本での仕事はハードというイメージがあります。

そんなこんなで、長時間労働や仕事の忙しさが原因で、仕事を辞める方は本当に多いです。
それならまだ良いほうで、過労で何かしらの症状が出て「働きたくても働けなくなった人」も多いです。

 

ちなみに過労で起こる症状は以下の通り。

足のしびれ/ 足がつる/ 頭が働かない/ 頭がぼーっとする/ 足が痛い/ 頭が痛い/ 朝起きられない/ 息苦しい/ イライラ/ 胃痛/ 息苦しい/胃炎/ うつ病/ 腕のしびれ/ 栄養失調/ おう吐/ 起き上がれない/ 過呼吸/ 過食/ 肩こり/ 気絶/ 記憶障害/ 記憶喪失/ くも膜下出血/ 首の痛み/苦しい/ 臭い/ 血尿/ 血便/ 痙攣/ 倦怠感/ 高熱/ 後遺症/ 昏睡/ 呼吸困難/ 寒気/ 失神/ 食欲不振/ 過労死/ 睡眠時間/ 精神疾患/ 喘息/双極性障害/早産/ 腸炎/ 疲れがとれない/ 疲れを感じない/ てんかん/ 手足のしびれ/ 突然死/ 吐血/ 突然性難聴/ 涙が出る/ 体調崩す/抜け毛/ 寝たきり/ 眠れない/ 脳 ダメージ/ 脳卒中/ 脳腫瘍/ 脳梗塞/ のどが痛い/ 腹痛/ 肺炎/ 肥満/ 入院/ ふるえ/ 不整脈/ 早死/ふらふら/ ふわふわする/ 偏頭痛/ ヘルニア/ ホルモンバランス/ 麻痺/ 慢性疲労/ 耳鳴り/ 耳が聞こえない/ 耳が痛い/ 胸の痛み/ 無気力/ 胸 苦しい/ 虫歯/免疫力低下/ めまい/ 物忘れ/ 盲腸/ ものを落とす/ 痩せる/ 腰痛/ 流産/ 力が入らない/ リンパ 腫れ/ ろれつ/ 咳/ 肌荒れ/胃腸炎/ おかしくなる/ 体が痛い/ 筋肉痛/ 気分が悪い/ 高熱/ 高血圧/ 寒気/ 心臓痛い/ しんどい/ 死にそう/ 生理不順/ 生理こない/ 切迫早産/ 腹痛/ハゲ/ 貧血/ 老ける/ 胸が苦しい/ 胸の痛み/ 糖尿病

 

この記事を読んでいる方も、もしかすると仕事がハードで全く休めず、もう限界が近いと感じているかもしれません。
すでに「仕事を辞める理由」や「退職の切り出し方」を考えているかもしれませんね。

ただしいくら長時間労働が嫌でも、そもそもこういう会社は人手不足だったりブラック企業だったりで、休みたくても休めない・辞められない会社であることが多いです。
中には怪我をして退職したいと伝えても、診断書を見せても退職できない事も…。

でも「会社を辞める時=会社で過労で倒れる時」では、たまったものではありませんよね。

 

そこでこの記事では、実際に「働きすぎだった状態から、無事退職出来た人」にアンケートを取ってみました。

具体的には

  • 退職したいと思った過労・長時間労働の体験
  • 退職理由の言い方・伝え方
  • 辞めると伝えたタイミング
  • 退職届にはどう書いたか
  • 忙しい職場を辞めて良かったと思ったこと

です。

どうやって長時間労働気味の会社を退職できたのか、参考になると思います。

 

その後に、

  • 辞めたいといっても会社に辞めさせてもらえない人
  • どうしても自分からは「辞めたいです」と言いづらい人、辞めづらい人
  • 退職拒否や引き止めを、自分一人だと振り切れる自身がない人
  • 今の職場が最悪で、いますぐ逃げたい、即日退職したい人
  • 損害賠償をすると脅されている人
  • 給料や残業代は払えない、有給も使わせないと言われている人

向けに、退職代行サービスというものも紹介します。

いま仕事がハードで、毎日「疲れた」「しんどい」「辛い」と思っている方の参考になれば幸いです。

過労・長時間労働で仕事を辞めた体験談:退職理由や言い方、辞めてよかったことなど

※枠内をスクロールしていただくと読めます。

私が勤めていたのは県の繁華街に3店舗を店舗を構える個人経営の飲食店でした。
18歳の高校卒業と同時にアルバイト入社後、正社員として再雇用され4年間勤めました。

個人経営の為、社長との距離も近く、家族感の強い会社で勤務開始した当時は、本当に楽しく仕事をしていた記憶があります。
社員になり店舗を任されるようになってからは、朝11時から仕込み工場へ行き仕込みをパートさん達とともに行い、15時過ぎに必要な物をまとめ、30キロ離れた店舗へ運転し荷物を運び、そのまま翌1時まで営業後、閉店作業は1~2人(社員のみ)で行い2時頃、再度30キロ離れた仕込み工場に戻り翌日の準備や在庫チェックを行い各々の自宅へ帰るという毎日でした。

 

シーズンがある業種だったので、閑散期には営業終了後、夜明けまでポスティング。仕込み開始前に営業周り。というじきも2ヶ月ほどありました。
ここまででかなり過酷な労働環境だということはお察しいただけていると思いますが、更に、週休1日各自与えられてはいますが、あくまで形上の話であって、社長に出てこいと早朝に言われる事も多々あり月の正式な休みは1日程度。

自分の身の回りのこともままならない中、割り振られる業務。
毎日があれよあれよという間に過ぎていく状態でした。

 

しかも驚くことに勤務時間は労基違反ならないよう給与明細は調整された固定の時間が毎月書かれているだけで、勿論ボーナスもなし。閑散期には減給あり。基本給20万以下の手取り15万という厳しいものでした。
ここまで酷い労働環境にも関わらず4年も勤めていた私は、常にストレスを抱えており、頻繁に起こる頭痛と手の痙攣、胃痛と戦いながら働いておりました。

それが普通、それが当たり前であると思いながら。
しかしある時、糸がぷっつりと切れてしまい社会人でありながら非常識であるとこは重々承知の上で、蒸発しました。(その会社の歴代社員は皆、蒸発です。直談判など怖くてとても出来ませんでした。)

 

今、退職して2年が経ちますが、辞めて後悔をした事は一切ありません。
その後は大手の飲食店に勤めておりましたが、残業も出る、交通費も出る、休みたい時に休める、社保完備等、当たり前のことが当たり前でなかった会社にいたので辞めてよかった。の一言につきます。

家族感の強い良い会社では無く、ただ社長に洗脳され、正しいと思い込まされた宗教のような職場だったと、辞めた後に気が付きました。
誰かが声を挙げなければいずれ過労死する者が出る恐怖さえ感じる過酷な職場でした。

 

恐ろしい事に私の夫はその会社に10年勤務しており現在も在職中です。
4年でまずい。と気が付き退職した私ですが、夫は完全に社長の信者となり、自分がおかしな環境に居ることに疑問を持ちません。

10年務めてお給料は手取り15万のままです。
転職を耳にタコが出来るほど薦めているのですが、本人は悪い職場と思っていない為、聞く耳を持ちません。

 

哀しいですが、息子のことも考えて離婚をしようと思ってます。
その現実を突きつけても、仕事は辞められないんだ、社長には世話になってる。と家族より仕事を取られました。

まさに『社畜』です。
飲食業はブラックが多いと言いますが、人手不足や長時間労働の他に経営者にも問題があるパターンでした。

 

システムエンジニアの正社員として働いていた時期があり、長時間労働が大きな問題になっていました。
一日に約14時間以上の労働を実施しており、心身ともに大きく疲弊してしまいました。

髪の毛は多くの白髪が発生するようになり、その他にも体は疲弊によって高い集中力を保つのが難しくなっていました。
このような状況が続いてしまうと現状だけではなく、今後にも悪い影響を与えてしまうので何とか退職をしなくてはいけないと思ったのが一つの選択肢です。

 

また身内もすごく心配していて、常に長時間労働を発生していることを知っていました。
特に母親は私の体をとても大切に考えていて、このままでは死んでしまうかもしれないと思い、退職を勧めてくれました。

多少悩んだのですが親も心配しているということだったので、退職を決意しました。
私の直属上司に連絡するのではなく、管理職として働いている方に退職する連絡をしました。

 

直属の上司に連絡してもよかったのですが仲が良かったというのもあり、退職を止められる心配がありました。
管理職として働いている上司ならば、そこまで面識はなく、スムーズに手続きを進める事ができると思って、管理職の上司に連絡しました。

何故退職するのかどのような理由なのか色々と質問されましたが率直に労働時間があまりにも酷過ぎることを伝えました。
管理職の上司も認めてくれて、すぐに退職の手続きを進めてくれました。

 

会社のルール上、一ヶ月前には連絡しないといけないので、退職する一ヶ月前に連絡させていただき、有給消化なども相談も色々とさせていただきました。
引継ぎ作業も色々と実施させていただき、退職当日まで特に問題が発生することは無かったです。

退職届は、インターネットで色々と調べさせていただき、テンプレートが存在していたのでそれを利用して作成させていただきました。
あのまま退職をしていないと心身にもっと異常が発生してしまい、快適な生活をすることができなかったので、一切後悔していないです。

 

私は現在42歳、当時長時間労働をさせられていた会社に勤めていたのは、私が大学卒業して新卒で入社した会社でした。
そこへは正社員の販売職として入社して店舗での勤務となりました。

入社当初は残業もそれほどなく、残業代も出るし、シフト制と聞いていたのですが、実際働いてみると全く現実は違いました。
残業代はでなくなり、シフトなどなく、正社員は朝から晩まで働き通しでした。

 

朝の8時から閉店が20時でしたが、閉店後に店内整理やら発注やら売り場変更があったので、帰れず、夜の11時12時は当たり前でした。
時には夜中の2時まで働いたこともありますし、12月も大晦日も仕事で、職場で除夜の鐘をきいたこともあります。

とにかく身体が辛くて、眠気もあり頭もボーっとする中で毎日仕事をしている状態でした。
しかも人員が足りないので、有給も取れず、風邪を引いても腹痛でもお構いなしに出勤しなければいけない過酷な労働環境でした。

 

そんな生活を約5年ほど勤め、30歳を迎えると同時にこのままこのような過酷な労働環境にいて良いのか考えるようになりました。
若いうちは良いですが、年齢を重ねてこのままだと身体を壊してしまうと思い、退職を選びました。

私のことを気にかけてくれる方には引き止められましたが、それでも決心はゆらぎませんでした。
恩のある方からの引き止めだったのですが、これ以上自分の人生を無駄にすることはできないと思いましたので退職いたしました。

 

今思えば本当に過酷な長時間拘束だったと思います。
文字通り朝から晩まで働き続けてきましたのでよくやったなと思います。

その後新しい職場に転職しましたが、その職場は定時は18時であがれて、たまに残業もありますが、今までとはくらべものにならないほど短くて本当にメリハリのある生活ができるようになりました。
仕事もきちんとこなし、仕事後はしっかり休んでリフレッシュもできるようになりました。

仕事も充実して、仕事後の私生活も充実して、転職して本当に良かったなと思いました。

 

救急病院の脳外科病棟で常勤看護師として働いていました。
救急車やドクターカーなどで急病人が運ばれてくることが多く、日々の業務の他に入院・手術・急変の対応など、物凄く業務の多い職場でした。

業務形態は朝から夕方まで働く日勤、夕方から日付の変わる夜中まで働く準夜勤、日付が変わったばかりの夜中から朝まで働く深夜勤の3交替制でした。
日勤ではその日に担当する患者さんの状態を知るために、業務開始の30分前には出勤してカルテを見て情報収集を行います。

 

準夜勤や深夜勤などの夜勤では看護師の人数も少ないので、担当する患者の数が日勤よりも大幅に増えます。
そのため、情報収集にかなり時間がかかるので、業務開始の1時間前には出勤して情報収集していました。

仕事も多忙で、残業のない日はないくらい、毎日の様に残業していました。
1時間から2時間の残業は当たり前で、4時間残業したこともありました。

 

勤務体系では日勤・深夜が一番大変でした。
朝から夕方まで働いた後に、自宅で少し仮眠をしてから夜中に出勤し、朝まで働くという勤務体系でした。

日勤の疲れが抜けないまま、睡眠も充分でない中での勤務なので、体力的に相当きつかったです。
なので、この職場で長いこと勤めていくことに限界を感じてしまったので、転職しようと決意しました。

 

退職の際は上司と数回面談をしました。
その際に退職の理由として、脳外科とは違う科で働きたい、違う環境の病院で働きたいと上司に伝えました。

特にしつこく引き留められることはなく、退職することを認めてくれました。
辞表には一身上の都合によりという理由を記入し、問題なく受理されました。

 

退職後は違う病院の整形外科病棟に転職しました。
新しい職場も救急病院ではありましたが、勤務前に早く出勤して情報収集をすることはありませんでした。

残業もあって1時間程度で、残業のない日も多かったです。
日勤・深夜という勤務体系もなかったので、かなり体力的にも精神的にも負担が軽減しました。

 

私は長時間の労働が原因で退職致しました。
職種は長距離ドライバーの仕事でした。

まず、仕事の内容なのですが、月曜日の午後に出勤して荷物を積みに行きます。
この荷物を積みに行く場所もいつも違うため、地図で調べながらの作業になります。

 

荷物を積む場所についてもどこで積んでいいのかわからないため、そこできくことになります。
この作業が終わって荷物を積み終わるまで、かなりの時間が経過してしまいます。

ひどいときは、荷物が出来てなかったり、他のトラックが積んでいたりして、積む前にかなり待たされる場合もありました。
荷物を積み終わると、会社に帰ってトラックをとめておきます。

 

荷物を、卸しに行くところもはじめてのところのため、行先によって出発する時間を決めます。
この間家に帰ってわずかな仮眠をとらなければならないのですが、なかなか寝れないこともあります。

はじめていく所という事もありますし、ましてや遠い県だと不安になってしまうためです。
また会社に戻ってから深夜に出発となります。翌朝までに到着しなくてはいけないので、眠くても途中で寝れない場合があります。

 

道路事情によって、渋滞しているときとかは、たまったものではありません。
何とか地図で調べて到着して、また卸す場所を聞いたりして何とか卸します。

卸し終わると今度は帰りの荷物を積みにいかなくてはなりません。
また、地図帳で調べて積みにいくわけですが、距離が離れている場合何時に積みに行ってくれと言われても、はじめてのところで何時間かかるかわからないので、遅れてしまい怒られたことも何回もありました。

 

また、そこで荷物を積んで翌朝までに、目的地にもっていくというような作業の繰り返しです。
特に冬などは、雪の多い県などに行くと道路が凍っていたりして、余計に時間がかかったりしてしまいました。

また、疲れて寝てしまい時間に間に合わないときなどは、自腹で高速に乗ったこともありました。
ストレスと寝不足で我慢できず辞めました。

 

私が働いてた職種は、販売業です。雇用形態は正社員になります。
通常は8時間勤務となっていましたが、定時に帰れることは、ありませんでした。

人手が足りない会社だったので、朝からラストまで仕事させられるのは当たり前のような感じでした。休みは、週に一度しかなく、疲れも全く取れない中での仕事を繰り返していたからか、お休みの日に、突然、背中に何とも言えない痛みが走りました。

 

喉に異物感があり、手がしびれ、首は一日中痛みがありました。
そして、腹痛下痢をたびたび起こすようになり、外に出るのも怖くてたまりませんでした。

あと、食べると胃が痛くなり、ご飯を食べるのが辛くて、あまり食べれずいたら、太ももの内側にブツブツもできたりもしました。
自分の身体に何が起こっているのか怖くなり、かかりつけの内科に相談し、心電図や血液検査に胃カメラまでしましたが、すべて異常なし。

 

との検査結果。手のしびれもあったので、整形外科にも行きました。
これもまたレントゲンを撮りましたが、異常なし。

とりあえず痛み止めや湿布を処方してもらいました。
病院へ行けば、原因が分かる。と思っていただけに、異常なし。と言われても、ありとあらゆる痛みや症状が現れるのに不安で仕方なく、夜、寝ていて寝返りするたびに、お腹あたりが痛んで目が覚めるほどでした。

 

そのことを遠く離れた実家の母に相談していましたが、これといって話しを聞いてくれるだけではありましたが、実家近くに住んでた義姉さんが、私も同じような体験があるからと、話しをいろいろ聞いてくれて、何も異常がないなら、心療内科を勧めてくれました。

その時、初めて私は仕事からのストレスで心の病気になったのかと気づきました。
初めて行く心療内科では、人が多くて、かなりの待ち時間もあり、それはそれで苦痛でしたが、お薬をいろいろかえてもらいながら、身体の痛みは取れませんでしたが、ようやく不安を鎮める薬には出会いました。会社へは、理由は、特に書かずに一身上の都合により退職させてもらえました。

退職して、しばらく病院に通いましたが、症状がほとんどなくなってきたので良かったです。

 

数年前ですが小売業の事務職の正社員として働いていました。
入社して4年後、大きな組織改革が行われ、通勤時間が30分の事務所から1時間半かかる事務所に異動となり、業務内容もボリュームアップしました。

最初の1年はとにかく必死に働いていました。朝は6時半に家を出て、帰宅は0時の日々が続きました。
異動の少し前に結婚しましたが、そんな状況だったため、食事作りはおろか、洗濯すら週に1回しか出来ませんでした。夫は同じ会社だったので理解してくれました。

 

毎朝起きるたびに辞めたいと考えていましたが何故か辞めるのが怖くて言い出すことが出来ませんでした。
組織改革とともに会社の経営陣も結果をとにかく求めるようになり、現場の社員にも疲れが見えてきました。

私の上司もストレスのせいかイライラすることが増え、きつく当たられるようになりました。
今考えるとパワハラ認定されるようなことばかりです。

 

退社後に携帯電話に電話をかけてきて業務外のことで怒鳴られたり、会議室の使い勝手の件で社員50名近くの前で怒鳴られたり、とても辛かったです。
慰めてくれる人もいましたが孤独感のほうが強かったです。

男性ばかりで女性が少ない会社だったため、相談する人も夫くらいしかいませんでしたが、夫も同じ会社だったため迷惑はかけたくないと思い、あまり具体的なことを愚痴ることは出来ませんでした。
寝不足でしたので体調は最悪でいつも頭痛がしていました。1年が過ぎたころ、異動人事が発表されました。

 

当時、しんどい仲でも無駄口をたたきあえる同僚が数人いたのですが全員別の事務所へ異動していってしまいました。
その頃からはっきり夫に辞めたい辞めたい、と言っていたのを思い出します。

家事はほとんどできなかったため洗濯は週1でしたが、ある日、風呂上がりに置いてあったバスタオルを使うと、ものすごく臭くて驚きました。
1週間同じバスタオルを使っていたようです。今じゃ考えられませんけど、その頃はそんなことも気にならない位疲れていました。

 

その時に心の中の何かがプツリと切れたようになり、はっきりと退職しようと決めました。
まずは直属の上司に伝えました。

理由は「専業主婦になって家のことを色々としたい。今は体が辛すぎて何も先のことが考えられないので退職して色々考えたい」と言いました。
その上司はあっさりした人で特にひきとめられもしませんでしたが、私にパワハラをしていた上司は休職をすすめてきたり、部署異動をすすめてきたりしましたが、その裏には、部下が退職すると自分の評価が下がるのでとにかく辞めないでくれ、といった本音が見え隠れしていたので退職の気持ちは変わりませんでした。

 

この会社にいる将来の自分が全く想像できなかったことも退職の意志を固めるものになりました。
退職届は会社のシステム経由でひな形をダウンロードし入力していくというあっけないものでした、

退職して数か月は家の片づけをしたり、料理をしたり、ハローワークに通いながら自分のやりたかったことをしました。
おかげで偏頭痛もなくなり、心に余裕が出来ました。

 

辞めたことで頭の中がすっきりして自分を第三者的立場から見つめることが出来、色々自分にも至らない面はあったと反省することもでき、先のことも考えることができるようになりました。
その後、派遣社員として別の会社で働き、妊娠を気に専業主婦をやっています。

 

専門学校を卒業し保育士になりました。
正規採用で市職だったため3年目に異動となり、少人数の保育園勤務となりました。

異動前は障がい児の通園施設にいたため健常児の保育園勤務は経験がなかったのですが、職員の人数の関係上主担人になる他なく、ペアは新規採用の同じ年齢の先生でした。
他の正規職員は園長、副園長、他年齢の先生が2人のみでした。

 

パートさんは2人いたのですが、やはりどちらも今年度からの採用の方で園のことも仕事もなにも分からない方たちでした。
その環境の中で私も分からないこと初めてのことばかりだったので、昨年度以降の資料は確認するものの細かいことや内容は直接他の先生方に確認するしか方法はありませんでした。

しかし声をかけると、迷惑そうな顔で見返され、「見たらわかるでしょ」「考えれば?」の一言で片づけられてしまい、次第に嫌な顔や対応をされるのが怖くなり聞けなくなっていってしまいました。
しかし、毎日の業務は増えていき、それでも何とか保育を計画・実施していたのですが、突然部屋に来られては準備していたものを勝手に移動され、保育がうまく進まなくなるとなぜ準備などをしておかなかったのかと問い詰められるようになりました。

 

新規採用にペアの先生には、自分も初めての健常保育になるので、積極的に協力してほしいという旨を初期から何度も伝えていたのですが、きちんとするのは個人の割り振りの仕事のみで、部屋のことはまる投げ、するように指導しても1からすべて指示しないとなにも進めてくれませんでした。

私の指導の仕方が悪いんだと思い、できる限り自分で業務をこなすようにしていましたが、しだいに返事もしなくなっていきました。
そのような環境がたかってか、ある日副園長に責められていると意識が飛び、過呼吸になり倒れてしまいました。

 

そのあとは30分ほど休んでまた業務に戻りましたが、翌週謎の激しい頭痛を繰り返し救急車で搬送、栄養失調で即入院することになりました。
診断はうつ病で、そのときには食事を摂ることすらできませんでした。

形式上見舞いに来た園長たちからは慰めや励ましの声はなく、職員がまわらないためできるだけ早く復帰してほしい。
退院はいつかと聞かれたのみでした。

 

主治医の命令で退院はさせてもらえず、休暇から休職扱いになり、退院後もストレスがかかると身体症状になって現れるため復帰のめどがたたず、職場に戻ることなく退職となりました。
市職だったため、退職手続きは市役所で市役所職員の方に対応してもらい、職場の先生に会わずに済んだことだけが幸いでした。

退職理由が自己都合だったことが悔しいです。
病気にさえならなければ働いていけたのにと何度も思いました。

 

もう、10年も以上も前のことですが、高校を卒業してすぐに、データ入力の会社に就職しました。
高校で割と成績も良かったので、優先的に職場も選ぶことができ、給料も作業内容も休日も良いと思ったので面接をすることにしました。

紙面のみで判断し、面接後は大学と違って内定を受けたら有無を言わせずそこに就職することが必要でした。
内定をこちらから断るなら、次年度からこの高校へ募集が来ないかもしれないという圧力がありましたが、私は就職するつもりでしたから、何の疑問にも思いませんでした。そして、アルバイトの経験もなかった私には流されるまま入社式まで、トントン拍子に進んでいきました。

 

会社説明とかがありましたが、今思えば良いことばかりしか言われなかった気がします。
シーズンにより仕事の量も変わり、内容も変わり一年目は仕事に慣れるだけで精一杯でした。

その期間も休日出勤や残業も多々ありました。
二年目になり、その頻度は増していきました。最初言われていたことと違いが多くなっていきました。

 

仕事も入力すればしただけが自分の給料になるというシステムだったので他の人との競争を強いられていました。
三十人ほどのパンチャーが一日中パソコンに向かっています。

三年目になりシーズンによってですが、夜11時ごろまで仕事をし翌朝再び定時に出勤するということがありました。
その頃から体に不調が出てくるようになりました。

 

頭痛に始まり、めまいや、油っぽい肉が食べられなくなっていきました。
血液検査をすることになりました。異常はありませんでしたが、このまま続けるならもっとひどくなると思い、母親に相談しました。結果、辞めた方がいいという結論に至りました。

上司に辞めたいという旨を伝えたところ今まではあなたに投資してきた、これから返してもらう時期なのにと言われました。
もう一週間考えてと言われました。私の辞める決意は変わらなかったので、考えましたが辞めさせてくださいと言い、渋々でしたが、了承していただけました。

退職したら、症状もなくなり、普通の生活に戻ることができ良かったと思っています。

 

私は2年前に長時間労働が原因で退職をしたのですが、その際の職種はスポーツのインストラクターを行っている正社員と言う形でした。
基本的には出勤時間が早く退勤時間が遅い仕事であり、残業がとても多く、休日出勤も当たり前に行うことがとても多かったです。

そのような仕事の時間携帯で慣れていたと言うこともあったのですが、ふと体調を崩してから芋づる式にさまざまな身体に対する症状が現れてしまい、円形脱毛性になったり、身体の疲れがなかなか取れなかったり、吐き気やめまいなど今までになかった症状が多く現れるようになりました。
しかしながら、そのような症状で仕事を休む事はできなかったため、薬を何錠も飲みながら仕事行ってきました。

 

最終的に仕事を行うことができないと自分で判断を押し、仕事を退職することを決めました。
しかしながら自分は職場において業績も実績も人柄もあったため、会社からは情に訴えかけるような慰留をされました。

しかし今後の自分の人生と現在の体調を鑑みたことと、自分の体調の変化やこの仕事を長期間受けられないと言うことを上司に伝え、そのような慰留をすべて断り3ヶ月後に退職することにしました。
辞表には「一身上の都合」と言う事のみの記載を行いました。退職までの3カ月間も体調面はすぐれず、病院で点滴を打ったり薬を多く飲んだりしていました。

 

何とか3カ月間の仕事を全うし、しばらく仕事を休むことにしました。
それから自分は雇われると言う形ではなく、自分でスポーツのコンディショニングやコーチングを行う仕事を行うことにしました。

すると自分で仕事の時間帯を選べると言うことや、時間外労働や長時間労働がなくなり、体調は悪くなる事はありませんでした。
仕事のやりがいもより一層感じられることができ、「仕事を辞めて良かった。」と思えることができました。

 

もしかしたら私のように体調を崩して仕事を辞めたいと思う方も多いと思います。
このような場合には勇気を持って退職届を出すようにしてみましょう。

自分の体を壊し、取り返しがつかないことになる前にアクションを起こしてみたほ方が良いのではないかと思います。

(今回は一例として正社員の方を紹介しましたが、このほかにも派遣社員、契約社員、中にはアルバイトやパートでもきつい長時間労働をさせられ、退職した方もいました)

 

いかがでしょう?
いくつか体験談を紹介しましたが、みなさん実際に長時間労働をしている間は、自分がどれだけきつい状態にいるのか気が付けない事も多いことがわかりますよね。

それを証拠に、長時間労働から逃げて初めて、「いかに今の生活が幸せかどうか」感じられています。
長時間労働が耐えられない・もたないと感じたら、一度真剣に退職を検討してもいいと思います。

 

仕事を辞める方法は、以下に紹介する記事が参考になると思いますが、もし

  • 自分から退職を切り出せない、
  • 辞めたいといっても強い引き止めに合う
  • 即日退職したい

という場合は、この記事の最後までお進みください。

自分で退職するコツ

退職時のよくあるトラブル解決法

もし自分から退職を切り出せない、強い引き止めに合う、即日退職したいなら…

この記事では、うんざりする長時間労働を辞めるコツをいくつかご紹介しました。
ただし記事の始めにも言ったように、こんな苦しい&しんどい長時間労働をさせる会社って、ブラックなところが多いんです。

そうなると、やっぱり直接退職を伝えるのは怖いですよね。
強い引き止めを断れないかもしれないし、パワハラがある会社だと怒られたり殴られたり、退職後に嫌がらせをされるかもしれません。

 

そこで便利なのが、退職代行サービスです。
退職代行サービスは私たちの間に入って会社と連絡を取ってくれるのですが、実は”裁判の時は会社側の無理な主張や暴言を連絡記録として提供できる”という側面があるんです。

つまり会社側は無理な長時間労働や、実際に過労気味になっているのに、それでも「働け」と言っていたのを第三者に知られる可能性があるわけです。
それが面倒だと思って、会社も「大事にしたくないから黙って辞めてくれ」となるわけです。

それを証拠に、退職代行サービスは退職を拒否されたことがありません。

 

また、退職代行サービスには以下のような特徴もあります。

  • 今この瞬間から、一言も会社の人と話さず退職できる
  • 連絡は全て代行業者を通じてすること、本人に電話をしたり家に来たりしないよう伝えてくれる
  • 訴えられたこともない
  • 最短で即日退職可能
  • ほとんどの場合は有給も給料ももらえる
  • 退職後の手続きのサポートもしてもらえる

 

自分が退職できる状態かどうかの無料相談は、24時間…つまり今この瞬間でも出来ます。
詳しくは以下の記事を読んでみてください。

⇒退職代行サービスの仕組み、流れ、値段、法的な問題などについて