障害が原因で、仕事を辞める人は意外と多いです。
- 元から障害を持っていて、職場との相性が悪く仕事に支障が出ていじめられたり、孤立してしまったり、怒られたりして辛くて辞めてしまう方
- ストレスなどが原因で職場で障害を発症してしまい、仕事ができなくなったり、仕事が手につかなくなったり、仕事に行けなくなって退職した方
などがいます。
私もいろいろと調べてみたのですが、特に仕事を辞める原因に多かったのが以下の障害です。
- 強迫性障害
- 発達障害
- 適応障害
- パニック障害
- 双極性障害
- 社会不安障害
- 対人恐怖症
これらの障害をお持ちの方、もしくは途中で発症され仕事を辞める方が多かったです。
ただ問題なのは、会社に障害を言いづらかったり、会社が障害を認めてくれない事も多い事ですよね。
もし元々障害をお持ちで、障害を隠して入社していた場合は何を言われるかわかりません。
また途中で障害が発症して、どれだけ怖い思いをしたり不安を感じたりしていても、職場の上司などから「甘え」の一言で片づけられ辞められないケースも多いです。
それは上司が障害に理解がないのは勿論、会社としても「仕事が原因で障害が発症した」とはなかなか認めにくいんです。
そうなると、会社を辞める理由や退職の切り出し方について考えないといけません。
自分の障害について正直に話すのか、それともただ仕事を辞めるために別の退職理由を用意するのか、です。
そこで今回、実際に強迫性障害、発達障害、適応障害、パニック障害、双極性障害、社会不安障害、対人恐怖症などが原因で会社を辞めた方にアンケートを取ってみました。
内容は
- どんな障害で、どうして仕事を辞めたいと思ったか
- 退職理由の言い方・伝え方
- 辞めると伝えたタイミング
- 退職届にはどう書いたか
- 障害で仕事を辞めて良かったと思ったこと
です。
障害をお持ちの方が、上司に何と伝えて会社から逃げることができたのか参考になると思います。
その後に、
- 辞めたいといっても会社に辞めさせてもらえない人
- どうしても自分からは「辞めたいです」と言いづらい人、辞めづらい人
- 退職拒否や引き止めを、自分一人だと振り切れる自身がない人
- 今の職場が最悪で、いますぐ逃げたい、即日退職したい人
- 損害賠償をすると脅されている人
- 給料や残業代は払えない、有給も使わせないと言われている人
向けに、「退職代行サービス」というものも紹介します。
いま障害を持ちつつお仕事をされていて、毎日「きつい」「苦しい」「仕事に行きたくない」と思っている方の参考になれば幸いです。
障害で仕事を辞めた体験談:退職理由や言い方、辞めてよかったことなど
※枠内をスクロールしていただくと読めます。
私はパニック障害を持っています。
パニック障害がひどくなった時はチェーン店の店舗責任者をしていました。
もともと病気の事は上司には伝えていましたが、直属の上司が変わりあまりにも頼りない上司に変わりました。
その際にアルバイト、パート、お客様と上司に挟まれなんとか乗りきろうと思って頑張ったのですが発作も酷くなり辞めざるを得なくなりました。
病気の事を知っている上司達には休暇を取って戻ってきてほしいと言われたのですが、いつ戻れるかもわからない上に、休暇を取って戻って周りに何て思われるだろうと考えるとしんどくなり体がもたないと思い断りました。
辞表には本当に一般的なのですが、一身上の都合により退職させていただきます。と記入をして提出をしました。
辞めてからしばらくは自宅療養という事で仕事には就きませんでした。
日中は家に引きこもりたまに夜にふらっと外に出て行く状態でしたが、だいぶ体調も落ち着きました。
やっぱり休職ではなく退職を選択した事により何も考える事がなくなり精神的にも体力的にも楽になりました。
落ち着いたところで就職活動を始めました。
私は人見知りもあり溶け込んでいくのが苦手なのでオープニングで仕事がないかと探しました。
そこで見つかったのが前職と同じ接客・調理補助にはなるのですが人数も少なめだったので応募したところ採用になりました。
オープニングという事もあり上司とも同僚とも初めは緊張しましたがすぐに溶け込むことができました。
仕事にも行きたいという気持ちが強く発作が出る事なく出勤する事ができました。
新しい職場の上司は、しっかりと話を聞いてくれて返答も返ってくるので意見交換や提案もできのびのびと仕事ができるようになりました。
私が転職をして1番感じた事は人間関係が大切だという事。そして直属の上司との関係が大事だという事を感じました。
あまりにも頼りなさ過ぎる上司とは自分の心と体力がついていかないという事を感じ転職をして1つ学ぶ事が出来ました。
私は、適応障害で前職を退職し、転職をしました。
辛かったことは、数字の追及による過度なストレスです。
営業の仕事をしており、役職もあったので、求められることは当然ですが
過度な期待と数字の追及で体調を壊しました。
職種は教育業界の営業、雇用形態は正社員で責任者をしていました。
正直、辞めて正解でした。
今はまた正社員でゆくゆくは営業職となりますが、1日8時間勤務、完全週休2日制です。
なんとか3年は我慢して、勤務しましたが、勤務時間も一日12時間を超え休みも
10日に1回といわゆるブラック企業でした。
辞めようと思ったきっかけは、日頃から積み重なって辞めたいと思う事はありましたが1番は、手足の震え、嗚咽、倦怠感、頭痛、体調不良の日が多くまた毎朝電車通勤をしてた際に、電車を見て、飛び込んだらどうなるのか・・・のように感じる事が増え心療内科を受診した事でした。
病院の先生からは、薬の処方と、可能なら仕事をドクターストップすることも薦められました。
役職もあり、責任者もしていたので、上司からは引き止められました。
ただ、他にも離職者が多く、経験上次の仕事が決まっていた場合強く引き止めれられないことは知っていましたので、次の仕事を決めてから辞職の意思を伝えました。
退職する際の理由は、体調不良のこと、病院に行って診断をもらったこと、次が決まったことを伝えました。
退職届には、最終的には、次の決まった所に行きたいが強かったので、一身上の都合で提出しました。
新しい職場に転職して、「辞めてよかった!」と思ったことは嫁と子どもがいるので、夕方帰ってからの家族との過ごす時間が増えたこと精神的にも追い詰められることがなくなったので、毎日健康に過ごすことができている点です。
僕は、精神面も弱くて、二度目の転職でしたが、しっかりと目的を持って転職をするならば転職して逃げても良いと思ってます。
本当に精神科に通うほどの鬱になると社会復帰も出来ないと思います。
私は20歳で短大を卒業しました。
私立幼稚園に就職し、正社員で幼稚園教諭として5年勤務しておりました。
教諭同士の人間関係や、勤務内容には何の問題も無かった様に思います。
ある日、勤務中に急に動悸と呼吸苦が始まり、血の気が引き、そのまま意識を失い倒れ、病院に搬送されました。
体を全て検査しましたが一切の病変もなく、私の職業を聞かれた為、伝えたところ「心療内科」を、紹介されました。
後日、紹介状を持ち心療内科を訪れると、そこで「パニック障害と自律神経失調症」とゆう診断が下りました。
この病気は、ほとんどの原因がストレスだと言われ、お医者さんに根掘り葉掘り聞かれました。
私的には、幼稚園での仕事に関してストレスは無かった様に思うのですが、お医者さんとお話をしているうちに、園児の保護者が原因なのだと気付かされました。
自分では、我慢出来る程度だとずっと思っていたのですが、その我慢が過ぎて、積り積もって精神を壊したそうです。
その後も心療内科に通院しながらお仕事は続けておりましたが、私の場合「パニック障害」と「自律神経失調」が、精神的な方に出るのでは無く、体に出てしまう方で、この病気の典型的な症状「過呼吸」と「めまい」と「震え」に悩まされました。
通院しているにも関わらず酷くなる一方で、退職を決意致しました。
退職理由は、正直に体の事を伝えました。
幸いとゆう訳ではありませんが、私は症状が体に出ていた為、勤務中でも過呼吸を起こしたり、めまいで歩けなくなったりしておりました。
園長先生も私のその姿を見ていた為、引き止めも無く、比較的あっさりと退職する事が出来ました。
園長先生に辞めたいとゆうお話をした後に、一応形ばかりの辞表を提出しました。
辞める理由は「一身上の都合により」と、致しました。
精神的な病気ですので、こればかりは退職したからといって、すぐに良くなるものでも無く、2ヶ月間休職しました。
体調が少し落ち着いた頃、知人に誘われていた「学童保育の指導員」として、勤務し始めました。
幼稚園と違い、学童保育は小学生相手ですので、保護者も幼稚園程は介入して来ず、指導員に対して要求も少なかった為、ストレスは半減しました。
体調も万全とまではいきませんが、少なくとも悪化する事はなく働けております。
心から辞めて良かったと思っております。
未だに完治はしておりませんが、仕事次第では病気と上手く付き合っていけると思いました。
私はそれほど大きくも小さくもない運送会社での事務業を仕事として働いていたのですが、家庭中でのトラブルや大好きだった祖母が亡くなるという出来事があって、うつ病だと診断されました。
同じ事務作業をしている社員は20人ほどいるのですが、私だけ仕事を休みがちになってしまい、久々に仕事に行くと必ず頭痛と吐き気に襲われ同僚の社員に家まで送って行ってもらうことが多くなりました。
最初はうつ病だと診断されましたが、外出する度に不安な気持ちが止まらなくなる症状がではじめたので病院に行くと、うつ病に伴ったパニック障害だと診断されました。
私は会社まで電車通勤でしたが、電車酔いが酷くなりました。
駅が移り変わる度に電車から降りてトイレに駆け込んだりして会社に通勤することすらしんどくなってきました。
当然朝会社に到着して怒られるのですが、怒られている最中に息が荒くなってきて部長の前で倒れてしまったこともあります。
毎日がしんどくて辛くて不安で押しつぶされそうでした。
社員はもちろん部長も私が体調が悪いのを知っているので、会社を辞めると言った時は「ゆっくり休んでくれよ」と言ってくれました。
退職届にはしっかりと診断された病気と症状を書いて、これ以上迷惑をかけることはできないと書きました。
退職した後でもお金を稼がないと生活できないわけでしたので、外出しなくてもできる仕事を探しました。
もともと私は学生時代に留学していたので英語には自信がありました。
なので家でパソコンをカチカチするだけの英語翻訳の仕事をすることにしました。
またスカイプ英会話などのアシスタントなどのお仕事もありましたので、そちらの仕事もするようになりました。
やはり無理して毎朝トイレに駆け込みながら通う会社より全然楽ですし、何より心が軽くなりました。
また最近は家から徒歩3分のすごく近場のパン屋さんでアルバイトなどもしています。
会社にしっかりと通ったいた時よりかは月収などは当然減ってしまいましたが、前より絶対に楽で充実した毎日を送っています。
大好きだった前職を辞め、中途で某車メーカーでの携帯電話販売の担当になり、正社員として数ヶ月間仕事をしていましたが上司や先輩方にはほとんど教えてもらえずお客様が来ていない間に自習のような形でメモばかりとっていました。
全然わかっていないのにも関わらず1ヶ月も経たないうちにお客様の対応を1人でしないといけなくなり、少しパニックになっていましたが優しいお客様によって少し救われていました。
その頃には前の職場に戻りたいという気持ちと、今の職場でのいきなり仕事を任せられている責任感もあり少し病んでいたと思います。
その頃に大きなミスをし、お客様に平謝りをしました。
先輩は私がついていなかったからと言っていましたが、その場しのぎという感じで翌日にはもう1人でした。
追い討ちをかけるようにクレーマーのようなお客様の対応を任されて、私の責任になりました。
その日からは自宅では毎日泣いていて職場近くにある線路に飛び込もうと毎日考えていました。
ある日朝起きても動けなくなってしまい、やっと動けたとしても吐き気がすごくて職場に行く前に病院に行くことにしました。
内科でしたが先生に勧められて精神科に行くことになり、そこで出た診断が適応障害でした。
まさかという感じでしたが、先生からは休職した方がいいと言われ3ヶ月の休職届を出すように書類を書いていただきました。
その日にその書類を上司に提出し、とりあえずその日は自宅に帰りました。
しかし責任感からは逃れられず毎日これでいいのかと自分自身に追い詰められていました。
自宅療養になり1ヶ月ほど経った頃、自宅に上司からの連絡があり面談をすることになりました。
その上司は私に対して謝り、休職する前から少し心配していたと言ってくださりました。
その面談で私は退職することを決心しました。
その際、給料は休職届の内容の3ヶ月分は出していただけることになりました。
それは大手の会社で適応障害の人が出たという噂を流されたくないという口止め料なのかなとも思いました。
辞表にはサインをしたことしか記憶にありません。
きっと上司が書いてくれたのかなと思います。
退職し数ヶ月経った後、大好きだった前職に戻りました。
毎日が楽しくて生きている心地がしました。
金銭面の安定だけを求めて嫌な仕事をして自殺願望を抱えているより、給料は少なくても毎日が充実している方がいいと心から思えました。
私は昔から発達障害を持っていてコミュニケーション能力の欠如で昔から悩まされました。
そのせいで社会人になってもその発達障害が邪魔をして多くの苦労してきて、時には発達障害のせいで仕事を辞めるという事にも。
私が発達障害のせいで仕事を辞めたのは小売業の正社員をしていたときの話。
コミュニケーション能力が無い私がなぜ小売業を受けたのかと言いますと当時はリーマンショックの影響で仕事がとにかくありませんでした。
なので、学生時代に品出しの仕事をしていて募集人数も多かった小売業を受ける事になったのです。
小売業ではとにかく多くの人とコミュニケーションを取る事になります。
同僚の正社員の方々は勿論、アルバイトの学生やパートのオバサン、そしてお客さんなど多くの人と接する事になります。
当時の私は「小売業だけど最低限の挨拶と仕事もマジメにすれば大丈夫だろ」と感じていましたがそれが間違いでした。
しかし、段々と自分のコミュニケーション能力が無い事に周りは批判を言い出しました。
特にバシバシ物事を言ってくるパートのオバサンは「〇〇君は愛嬌ないね~。どうして小売業選んだの?」「〇〇君は仕事出来るけど愛嬌ないとさ~。統括できないよ。お客さんの前でも喋り方どもってるでしょ。あれじゃあかんよ」と言われてげんなり。
やはり自分には小売業は向いてないと感じ、上司に報告。
上司も私の事はあまり気に入ってなかったらしく「そうか、次の職場ではしっかりとコミュニケーションは大切にな」と言われ、職場の引き留めは無かったです。
退職届は会社既定の書面があったので、それに沿って書きました。
退職後は少しの間、自分にはどのような仕事が合うかをゆっくり調べました。
すると大学で受講をしていた日商簿記検定を活かせる経理の仕事を見つけて、経理の仕事につくことに。
経理の仕事は小売業よりもコミュニケーション能力を重要視されないですし、真面目に仕事をする人が評価されるので、転職をして正解でした。
やはり仕事はしっかりと自己分析をしないとダメですね。
私は「社会不安障害」と「対人恐怖症」です。
仕事をしていた時の職種は産婦人科の給食調理員でした。
雇用形態は正社員です。
辞めようと思った具体的な体験は、その当時働いていた産婦人科は出産祝いと退院祝いとして豪華なディナー(コース料理)を設けていました。
コース料理なので私も料理を運ぶ係になったのですが、運んでいる最中に手が震えて「カタカタ、カタカタ」お盆の上に置いているにも関わらず「カタカタ、カタカタ」毎回震えが止まらなくテーブルの上に置くときも声も手も震え、うまく置くことが出来ませんでした。
しまいには、食後のコーヒーを床にこぼしてしいました。
上司に怒られたのを覚えています。
他にも人の視線がきになったり、人から見られてると手が震えて書くことが出来なくなっていました。そのことで上司にからかわれていました。
また別の所で集団面接があり、私は緊張して話せなくなってしまって、面接官にバカにされてました。大勢いる目の前で「君は話すことも出来ないのに応募してきたのかね?」と言われ笑われてすごく嫌でした。声も手も震え、汗は大量に止まらなくて本当に嫌でした。仕事したい所だったのに。
退職する理由は上司に「もう来なくてもいい」と言われたことです。
私が、がんばろうと思っていても上司は、私に頑張る機会を与えてくれなかったから。
私の調理師免許証をクシャクシャにされ、破壊されていたから。
退職届にはどのように書いたかは退職届は最初は「いらない」と言われました。
ただ数日後に必要と言われたので形式上の「一身上の都合により退社」とだけ書いてと言われて、それを書きました。
新しい職場には何回も転職を繰り返していました。
社員さんが少ない所で働いてみたりしました。
それでも同じ症状が出てきてダメになりました。
30代からは専業主婦になって特定の人物には会ったり話できたりするけども、学校行事はまだ症状が出てきたりしてなかなか行くことが難しく、引きこもり傾向にありますが、他人に罵倒されないので、その点については退職してよかったと思いました。
私は軽度の発達障害(高機能自閉症)があります。
障害者雇用でオーディオメーカーの事務に採用されました。
人事部の方は非常に優しく、研修期間中とても丁寧に仕事も教えてもらえて、私にとってはとても良い職場に思えていました。
しかし、勤めてから二年くらい経った頃に女性の派遣社員が事務に入ってきました。
私よりも少し年上さんで、年齢が近いので、仲良くやっていけたらと思っていました。
実際に出会ってはじめの頃は、お互いに上手くやっていたと思います。
しかし、彼女は私が軽度の発達障害をもっていることがわかると、次第に私に対して冷たい態度をとるようになりました。
自分にあてがわれた仕事をさりげなく私に回してきたり、仕事がまだ残っているにも関わらず、自分だけ先に帰宅してしまうことが増えてきました。
発達障害がある私は、そういう手を抜くということが非常に苦手で嫌悪感を抱いてしまうので、彼女に注意しました。
すると彼女は逆上し、その日から露骨に嫌がらせをしてきました。
いつもは事務の仲間四人でお昼を食べていたのですが、私だけ仲間はずれにされてしまったり、私の障害をSNSでわざと発信したり…と、今までとは全く違う、手のひらを返したような仕打ちに涙がでました。
もっとも心傷つけられたのは、私が好意を持っていた男性にその人があることないことを吹き込み、ストーカー扱いをされてしまいました。
こちらは何も彼女にはしていないのに、虐げられ、日に日に辛くなってしまいました。
そんなことが二年間続き、私はご飯を食べることができない摂食障害になってしまいました。
家族は心配し、人事部の方にかけよってくれましたが、その人の前では『いい人』を装うため、なかなか彼女の本性を見抜いてもらうことはできず、私は泣く泣く長年勤めていた職場を去り、転職を余儀なくされました。
幸い、今は素敵な同僚に恵まれ、楽しく仕事をすることができていますが、あのときの切ない気持ちは忘れられません。
出版社にて制作の仕事をしていましたが、双極性障害を発症して退職しました。
転職で地元を離れてその会社に入りました。
前職が販売職だったので、何もかもが初めてでした。
「きちんと最初から教えるので、ゆっくり覚えていけばいいから」と上司には面接時に言われたのですが、いざ入社してみると即戦力としての仕事の内容を求められました。
使うパソコンも使ったことのないmacで、そこから覚えなくてはならなかったのですが、誰も基礎的なことを教えてくれる人はおらず、自分で参考書を買って勉強する日々でした。
毎日、終電近くまで仕事をし、帰ってから見本誌を読んで勉強しました。
会社に行ってからは上司や先輩からのプレッシャーがすごかったのと、自分の能力のなさに落ち込んでしまい、夜眠れないことが多くなっていきました。
最初は不眠で病院に行ったのですが、病院でははじめ「うつ病」と診断されました。
薬を処方してもらい、服薬しながら仕事をしていましたが、だんだん症状は悪くなり、薬も徐々に増え、主治医には退職を勧められました。
それでも、まだ入社から3カ月だったので、辞めたくないという思いが強く、無理をしながら働いていました。
ある時、一睡もできず、ベッドから起き上がることができなくなってしまい、会社にやっとの思いで電話をしてお休みをいただきました。
その夜、上司から電話が来て、「この忙しいときに何を休んでいるんだ!」と叱責をされました。
次の日、会社に行き、病気を発症したことを伝えると、「気持ちが弱いからだ」「病気のせいにするな」とまた叱責を受けました。
早退しなければ病院にも行けなかったのですが、また叱られると思うと言い出すこともできず、薬も切れてしまいました。
そうしているうちに、眠らずとも仕事ができるようになりました。
上司にも仕事に対する姿勢が変わったと褒められるようになりました。
しかし、実際のところはミスが増えたりして、先輩方には迷惑をかけていたようでした。
そうしているうち、ものすごく体調が悪くなり、1カ月ぶりくらいに病院に行ったところ、症状を聞いた主治医に「双極性障害である」との診断を受けました。
そして、休職するように言いました。
会社に電話をして、上司にその旨を伝えると上司は激怒し、「そんな奴はいらない」といいました。
会社の産業医にかかり、産業医からも上司に休職したほうがいいということを伝えていただき、1か月休職することになりました。
休職が明けて、会社に行った日、上司に個室に呼び出され、あなたが休職していた間どれだけ大変だったか、あなたがいなくて他の先輩にどれだけ迷惑がかかったか、ということを延々と言われ、「どういう事かわかるよね?」と、暗に退職勧告を受けました。
仕事に戻り、先輩方の冷たい視線を感じながら、退職願を書き、その日で退職しました。
退職の理由は「一身上の都合」と書けといわれました。
退職して、地元に帰り、実家で休養し、その後、販売の仕事に就きました。
短時間のパートで働き、お店に来るお客さんとの会話や先輩との良好な関係に救われたことと、会社には病気をオープンにして就職したので、急に具合が悪くなった時でもフォローしていただき、楽しく働いているうちに症状も落ち着き、ほとんど欠勤することはなくなりました。
今はその仕事も退職し、結婚してゆったりした生活を送っていますが、その仕事に就けたことによって、失っていた自信も取り戻すことができて良かったなと思っています。
私は医師から「対人恐怖症」と言う病名をつけられたことで仕事を退職したことがありました。
その時の私の仕事はスイミングのインストラクターで正社員として働いていました。
主に子供達のスイミングを教える仕事をしていたのですが、とにかくその子供たちの親がとてもクレームを言う人たちばかりでした。
いわゆるモンスターペアレントと言うやつです。
そのクレームも様々ありますが、基本的には自分の子供の事ばかりを考える理不尽なクレームであり、そのクレームの対応をしていくうちに人と話すことがとても恐怖となってしまい、頭痛やめまい吐き気などの身体的な諸症状を起こしたり、何時間寝ても身体の疲れが取れないといったような症状が現れてしまいました。
そのようなスイミングの仕事とモンスターペアレントへのクレーム対応を長期間行った結果、そのような方はおろか、自分の上司や友人、彼女とも話すことが億劫になってきてしまいました。
「このままでは大変なことになってしまうのではないか?」と思った私はすぐさま病院とメンタルクリニックに通い、医師からはそのような対人恐怖症と言う診断を下され、メンタルクリニックでは人と話すことが恐怖になった私に対する治療をもらうことにしました。
このままでは仕事ができないと判断したことによって、仕事場ではしっかりとこの症状になったと言うことを伝えたことと、「医師による対人恐怖症と言う診断のもと、今後の仕事ができないと判断された。」ということから仕事を退職することになりました。
それからしばらくは仕事には着きませんでしたが、スイミングの仕事から離れたくないと言う思いから、また別の場所で新たなスイミングのインストラクターとして働くことになりました。
その場所はクレームと言うような親が少なく、クレームを大体上司が受けてくれるためとても安心して仕事をすることができています。
転職してこのような場所で仕事ができていると言うことが大変素晴らしく、ありがたいことであると感じました。
私は大学を卒業して、システムエンジニアとして、正社員で働いていました。
社交性もありましたし、責任感も人一倍強かった私は、会社からの信頼もあったと感じています。
自宅から会社は、1時間ほどかかり、毎朝満員電車で通勤していました。
本社に3年ほど勤め、その後支社に異動しました。
本社ではありませんでしたが、支社にうつると、時間関係なく仕事の電話がかかってきます。
それは夜中にあることも多く、時間関係なく作業をしていました。
そのため、睡眠時間も少なく、また満員電車に揺られる日々。
社長と仲が良かったこともあり、体調を崩しがちになった私に、心療内科の受診をすすめてくれました。
そこではうつ病と診断され、薬も処方されたのですが、まったく効き目がありませんでした。
さすがにおかしいなと思い、違う病院へ受診すると、うつ病ではなく、双極性障害との診断を受けました。
その後体調も段々と良くなってはきたのですが、どうしても体が動かない日もあります。
毎日辛い生活でしたが、仕事をしなければお金もありません。
貯金はある程度しかありませんし、やめても生活はできません。
電車を待つ時間で、一歩踏み出せばこの辛い生活が終わると何度も考えたことがあります。
もう自分はだめだと思い、退職を決意しました。
社長に相談し、退職する旨を伝えました。
ひきとめることはなく、ゆっくり治してと声をかけてくださいました。
ですが、よくなったらいつでも待っているから、また一緒に働こうねと言っていただきました。
それが私にとっては、一番嬉しかったです。
自分に自信が無くなっていた私でも、待ってくれている人がいて、それが会社の代表である社長ということで、余計に嬉しかったです。
私が働いてきたこの数年間は無駄ではなかったのだと思いました。
実家に戻り、療養する生活を過ごしていました。
実家に帰ると、どうしても家族に甘えてしまいます。
しかし、生活リズムは崩さないように、家事を手伝ったり、なるだけこれまでの生活と変わらないような生活リズムを心がけています。
一度転職をし、短期間の雇用でしたが仕事をしましたが、続きませんでした。
どうしても、精神的な病気を持っていると、周囲からの視線が気になります。
面接を受ける際にも、そこを深く追求され、辛い目にあいました。
地域差はありますが、田舎である地元では、まだまだ理解がありません。
また、これまでの仕事をいかせる仕事もあまりありませんし、地元だと学歴でも左右されてしまいます。
その仕事もやめて、今も実家で家事等を行う生活を送っています。
最終的な目標としては、また前の会社に戻りたいと思っていますが、今の状況では無理だと思います。
金銭的にもきついですし、今の状態で働けるとは思っていません。
それが悔しく、自分にいらだつこともたくさんあります。
ですが、とにかく今は症状と向き合い、治していくことが第一だと考えています。
田舎は理解はまだまだですし、転職には向きません。
ですが、都会にはないゆったりとした時間を過ごすことができます。
そうすることで、段々とですが、症状が良くなってきたとは思います。
また仕事をすることを望んではいますが、とにかく今は自分と向き合い、これからの生活を考える時間にしたいと思います。
双極性障害を持っていて、介護の仕事をしたくて初任者研修を受け、開催された職場が希望の時間、週何回、いつ必ずお休み貰うといった条件で雇ってもらいました。
全スタッフがこちらが双極性障害であることを承知してくれていました。
ですが、仕事をしていく中で日数が増えたり、早出出勤だったり、強制参加の勉強にならない勉強会に参加させられたり、こちらの症状を全く理解しない職場でした。
それと利用者様のためと言って全てのスタッフにですが、個人の時間も費やせと言い昼食やおやつの買い出しを仕事時間外に行い、機材なども自分の家庭から持ってくるように言われたり、送迎で道が分からないなら仕事時間外に自分の車で回れとゆうようなことも良くありました。
そんな中、個人的理由も重なりこちらの症状が悪化して出勤が難しいと上司にはなしたのですが、「人手不足だから出勤してほしい。事務方に回すから」と言われ休まず出勤しました。
ですが、事務方の仕事をするのは出勤時間のほんの数時間で他は利用者様との関わりが主な仕事でした。
安定剤を過剰摂取しながらも仕事をしていたのですがある時糸が切れたかの様に何もかもが嫌になり「退職したい」と退職届を提出しました。
ですが、上司は受け取ってくれず話し合いをしたいと仕事終わりに話し合いを重ねました。
そうするうちに次の月のシフトが出来てしまい出勤せざるをえなくなりました。
ですがこちらの症状は悪化する一方だったので「シフトが出た以上は働きますが次の月からは出勤しません。」と伝え、病院の方に診断書の作成を依頼し辞める方向で進めました。
そして上司は「ここで辞めてしまったら、次も直ぐに辞めてしまうよ?ここで粘らなないと」と更に引き止めてくるので、「こちらはもうこれ以上ここで働くのは無理です。辞めて少し自分のゆとりの時間が欲しい」と突っぱねて辞めることを承諾してもらいました。
有給消化をするのに月末に1週間お休みを頂き退社しました。
退社する頃には退社できるとゆうのもあり気持ちに余裕が生まれ別の介護職に応募し合格し、退社後はそこで働き始めました。
そこは決められた日数、出勤時間、必ず休みをもらう日も守ってくれました。日数増加や早出出勤などもなく全てのスタッフが双極性障害ってことは知らない状態でも上司からフォローがあり、スタッフ皆さんが協力的でとても働きやすいです。
私は今から3年前の28歳の時にアミューズメント業界(パチンコ店員)で正規雇用社員として働いていました。
勤務継続年数は3年ほどです。
そして、私は新入社員として配属されてから、毎日休む間もなく働き続けていたのですが、業種柄お客様とのトラブルが多く精神的に辛くなる日々が続きました。
最初の内は、対応に困れば先輩社員や上司に助けていただき何とか精神的にも頑張って働くことが出来たのですが、私が主任に昇格してからは、クレーム、トラブルなどを毎日のように処理しなければいけない立場になってから、3ヶ月ほど経ち、いつもと同じようにホールに立って仕事をしていたのですが、その勤務中に中年の男性のお客様から声を掛けられた時に今までに感じたことのない恐怖感を覚え、汗と震えが止まらなくなり、どうしようか考えたのですが、何とかその場を凌ぎ、その日はできる限りお客様に会わないように事務所にて勤務しました。
そして、そして勤務を終え、家に帰り寝ようとしたのですが、明日の仕事のことを考えると眠れず、そしてクレーマーがまた来るのではないかと思い、また汗と震えが止まらなくなり、私は何か病気になっているのではないかと思い、次の日は急遽休みをいただき、精神内科に行きました。
その際に医師から対人恐怖症の可能性がかなり高いとのことで、当時の接客業はやめるべきであると伝えられました。
私はこの時は半信半疑でしたが、翌日に出社したときに確信に変わりました。
出社した際にいつも顔を合わせて笑ったり、何でも話が出来る同僚と話すことが怖くて、逃げてしまいました。
私はこの日に上司に現状を伝え仕事を続けていくのは不可能であることを伝えたところ、すぐに退職届を持って来い。と言われ、次の日に退職理由は一身上の都合と記載した退職届を提出し有給休暇日数が40日あったので、全て消化し退職となりました。
私は退職してから3ヶ月ほど経ち、転職活動を行った結果、工場(製造業)で正規雇用社員として雇用していただくことができました。
職場の環境は良く、勤務中もほとんど人と話をすることもない仕事な為、精神的にもとても楽で現在もこの職場で働いています。
以前のパチンコ店員を辞めて本当に心から良かったと思っています。
私は信用金庫で正社員として働き、主に窓口や後方の事務、電話対応を担当をさせていただいてました。
入社したばかりの頃は、まだ、周りの事が見えていなく仕事内容や職場の雰囲気に慣れることで精一杯で毎日必死に過ごしてました。
仕事は現金が商品で硬貨を一枚でも無くしたりすると、仕事は終わらなくなるのでとても慎重になります。
現金を自分が扱っているときはどことなく皆さんから厳しい目で見られているように感じるほど、慎重に扱っていました。
仕事はとても充実していました、やりがいも感じていました。
しかし、入社してしばらくしてから、特定の上司からボディータッチが多くなりました。
物事をはっきり言ったり態度に出すのができないタイプなので、どんどん激しくなりました。
いやでも、上司でもあるのでやめてくださいと言えずそのまま時間は過ぎてましたが、我慢がしんどくなってきてしまったので、ある時先輩に相談しました。
上司には絶対に伝えないでくださいと言う話でしたが、先輩も助けようとしてくれたのか、その話は会社全体に広がっていき幹部からの指摘でセクハラは無くなりました。
しかし、私は男性から言い寄られていたこともあり、何故か私は一部の女性に「チヤホヤされていいよね、男顔なのに」「そんなに、可愛くないのにモテていいねぇ。」などど嫌味を言われてだんだんと会社に行くのが辛くなり、そして、その時、職場の違う女性達は陰口を言い合い。
みんなはなにも感じていないのかもしれませんが、私はとても会社の空気を重く感じてました。
そして、なにをやるにも女性から文句を言われるのではないかとビクビクして、どこからか見られているように感じました。
そんなとき、移動があり私は違う店舗に移動になりました。
そこの、店長はとてもいい方でした。
しかし、前の店舗よりとても忙しく残業が増えました。
男性職員で怖い方もいて電話を回しても取ってくれない、無視するなどが普通の行動でした。
前の店舗で女性から監視されているように感じてるのは消えないまま、悪化していき通勤のバスや電車の中でもみんなが自分のことを見ている様に感じ気持ち悪くなり、一駅ずつ降りないとしんどくなってしまっていました。
そんなとき、会社で事務作業の途中に、急に吐き気がきてトイレに駆け込みましたが、ご飯もあんまり食べれていなかったので吐いても出るものはなく、だけど、胸のモヤモヤが消えなくてそれを消したくて、自分の指を喉に突っ込んで吐くものもないのに、血が出るまで吐いてました。
顔色の悪さに店長が早退させてくれて、その日からしばらく会社に行けなくなりました。
そして、店長からの連絡で連れて行ってもらったのが心療内科でした。
その時の診断が、社会不安障害と対人恐怖症でした。
今まで仲の良かった友達も通り過ぎる人も家族さえも怖くて、誰にも会いたくありませんでした。
会社にはそのまま行けなくなり、店長と秘書の方と退職の手続きをしてそのまま退職になりました。
私はそのまま入院になりました。
退職して良かったのは、治療に専念できた事です。会社に行きながらの治療は絶対に出来ませんでした。
辛かった事は、社内でみんなが誰かを悪者にして、足の引っ張り合いをしていること、みんなで助け合いながら仕事をすればいいのに、みんな認め合えば上手くいくのにと私は常に思っているのに、結局なにも出来ずに毎日色んな人の陰口を聞いてること。
男性と普通に話すだけで、私が女性から嫌われ、嫌味を言われること。
仕事の押し付けで自分だけで残業をしていること。
それでも、人のいいところを見ようとした結果誰にも相談出来なくてただひたすら、辛いことを我慢すり毎日になり、気づいたら食欲はなく体重は正常な時より10キロ落ち、監視されているように感じるようになり、人が怖くなり、そう感じてしまうことが辛く自傷行為にはしり、生きる意味がわからなくなりしんどかったです。
仕事を辞めてからも毎日精神薬をたくさん飲み眠くてだるくて動けない楽しいも辛いも感情も無いような毎日でしたが、あの時勇気を出して仕事を辞めて治療に専念したから今いきていると思います。
今楽しく幸せな毎日です。
体育会系の職場だったので、当時パワハラも恐喝もおかまいなしにおこなわれてました。
そうなるとしたも含めて生贄探しをはじめちゃうわけです。俺は損してないから大丈夫的なノリですね。
暇なのも加わって話題がないとはじまるわけです。
1対1なら普通の扱いでも、自分が被害にあいたくない一心で一生懸命いってきます。
これはどこでもありえますけど、1番どんくさいやつ(60のやつが59以下を)さんざんに滑らす。一生懸命足引っ張るわけです。
それで知らん顔して翌日あらわれるのです。
これはもう、仕事うんぬんではないんですね。
コミュ力、1コトでもおおく相手を滑らせたら勝ち、この恐怖にひきつった多数対1人の戦いなわけです。
時間が有り余ってくると、年寄なんかはもう生き残りをかけてなりふりかまわず滑らせてきます。
仕事がたいしたことない、自信がない人はもはや生き残る術としてあたってきます。
つまり生意気だからやっつけるわけです。
翌日以降出勤してこなくて仕事が滞っても関係ない。
人によってはもう、やぶれかぶれな勘違いをして当たってくる畑違いの年寄りもいました。
うまくかわせるわけでもなく、怖さもたりなかった私がやり玉でした。
毎日毎日これがつづくとうんざりでした。
たぶん今頃、あのとしよりは、なんにもしらないていでいるんだろうなあと思います。
もしかしたらぼけたふりでもして追及をかわしてるかもしれません。
真面目に相手させられた私は、結果うつになり、現在も次の職場でそういった人がなりふりかまわず椅子を守るためにあたってくるのだろうなあ、嫌だなあと思いながらすごしています。
なんだかあの状態は、今の日本どこでもあるようで、いい加減なんとかしてくれないかなあと思ってます。
たとえるなら後宮や宮仕えでした。
働きアリの法則で、必ず数パーセントがさぼるとありますが、お年寄りは暇になると誰かに当たりだすような気がします。
ただねえ・・・
お年寄りの体が動かないのも、頭がまわらないのも、デブなのも、自分のせいじゃないので、どうしようもないし、期待したからいったとかありきたりすぎて、見透かしてしまうんですよ。
まあ顔に出したのは私がわるくても、つまらない冗談を何度も同じように話されて冗談もわからないとか、地獄みたいでした。やれやれです。
(今回は一例として正社員を紹介しましたが、派遣社員や契約社員、パートやアルバイトで障害が原因で退職された方もいました。
また新卒で新入社員として入社として入社したものの、障害について理解がなかったり、あまりのストレスで障害を発症して研修中・試用期間中に辞めてしまった方もいました)
いかがでしょうか?
このほかにも
- 仕事が覚えられなくて毎日泣いている
- 障害で仕事が思ったようにできないのがきつい
- ストレスで仕事に行けない
- 障害のせいか仕事がつまらないので憂鬱
- 障害が発症して仕事に支障がでるようになってから、うまくいかない
という方もいました。
体験談を読む限り、障害を持っていたとしても働きやすい職場があるのがわかりますよね。
また仕事が原因で発症した障害は、転職することで徐々に落ち着いているのもわかると思います。
会社は星の数ほどあるので、続けるのが無理そうなら退職も考えてい見てください。
(ちなみに退職した後は、障害者専用の就職・転職支援サービスを使うのがオススメです)
仕事をを辞める方法は、以下に紹介する記事が参考になると思いますが、もし
- 自分から退職を切り出せない、
- 辞めたいといっても強い引き止めに合う
- 即日退職したい
という場合は、この記事の最後までお進みください。
自分で退職するコツ
退職時のよくあるトラブル解決法
もし自分から退職を切り出せない、強い引き止めに合う、即日退職したいなら…
もし自分で仕事を辞めたいと言いづらかったり、すでに退職したいと伝えているのに辞められない場合はぜひ、退職代行サービスというものを使ってみてください。
- 今この瞬間から、一言も会社の人と話さず退職できる
- これまで退職を拒否されたことがない
- 訴えられたこともない
- 最短で即日退職可能
- ほとんどの場合は有給も給料ももらえる
- 退職後の手続きのサポートもしてもらえる
という特徴があります。
自分が退職できる状態かどうかの無料相談は、24時間…つまり今この瞬間でも出来ます。
詳しくは以下の記事を読んでみてください。