仕事を辞めたくなる理由は、なにも会社側の問題だけではありません。

例えば私たち自身が、

  • 自分が要領が悪いと感じる
  • 仕事が覚えられなくて怒られる、自分が無能に感じる
  • 仕事が覚えられなくてストレスがたまる

上記のように感じて、会社を辞めたくなることもあります。

本気で仕事を辞めようと思うと、会社の人が納得するような理由や切り出し方を考えなければなりません。

そこで今回、「仕事ができない」「仕事が覚えられない」ことなどに悩まれて退職された方にアンケートを取ってみました。

また、自分で退職を言い出しづらいという方向けに、「退職代行サービス」というものもご紹介します。

誰でもできない・覚えられない仕事はある!

悩むビジネスウーマン

仕事ができない・覚えられないことで自己肯定感が下がり、辞めたくなってしまうという経験がある方は多いのではないでしょうか。
その際は、どうしても「辞めることは逃げなんじゃないか」と自分を責めてしまいがちです。
ネガティブになっている時に限って、仕事ができる同僚と自分を比べて落ち込んだりもしますよね。

しかし、できない仕事・覚えられない仕事は、誰にでもあるものなのです。

例えば、話すのが苦手なのに営業をしても、仕事が合わず良い成績を残すのは困難でしょう。
細かい作業が苦手な人に、アクセサリー作りやネイルアートなどの仕事は合いませんよね。
このように、人にはそれぞれ向いていない仕事が必ずあります

「どうして覚えられないんだろう」「周りに迷惑ばかりかけてしまう」など、悩みを抱えながら無理に合わない仕事を続けていては、毎日が辛くなってしまいます。
その仕事以外にも、世の中には様々な職業がたくさんあります。
自分に合った仕事を探し、転職することは決して逃げではないのです。
合わない仕事を辞めて、向いている仕事に出会えるならば、むしろ自分の人生にとってメリットですよね。

やりたい仕事や向いている仕事が思い浮かばないという場合もあるでしょう。
それでも、下記のような適性は判断できるのではないでしょうか。

  • 黙々と作業をするのが好き
  • 手先が器用
  • 人と話すのが得意

苦手だとわかっている仕事内容の職業は避け、自分の適性にマッチしそうな職業に絞るのがポイントです。
一人で判断が難しい場合は、転職エージェントなどを利用するのも良いでしょう。

仕事が覚えられない・できない理由で仕事を辞めた体験談

※枠内をスクロールしていただくと読めます。

私は大学の学部で専門教育を受け、将来は士業で独立する人の多い専門職としてコンサルタント系の企業に就職しました。
入ってみると同期のほとんどは大学院修了者で、学部卒は私を含め数えるほど、また、社内的に見ても大学院はおろか海外の大学に留学している人までいて、学歴、経歴的には最初から見劣りしていました。

ただ、そうした理由で社内的に差別を受けることはなく、せいぜい給与の基本給が違う程度で、そのことはむしろ当然のことと受け止めていました。
大学院まで修めればそれだけ知識量が増え、即戦力として使えます。そして、何よりお金も掛かりますから、給与の格差は苦ではなかった。

 

つらかったのは、回ってくる仕事に格差があることでした。
会社として大事な顧客、メインの仕事からはことごとく外され、いわば縁の下の力持ち的な仕事をしている人たちのグループに配属されていることは入ってすぐ、感じました。

つまり亜流ということです。
よほど頑張らなくては花形的な仕事が自分に回ることはない状況でしたから、最初のうちはそうなれるように毎日仕事のあとも午前2時くらいまで専門書を読んでは、知識を増やし情報を収集しました。

 

ところがあるとき、直属の上司にさりげなく、「面接の時どういうポートフォリオを持ってきたの?」と聞かれました。
学生時代の集大成的なポートフォリオが気に入られての採用であったようなのですが実は、それは友人のものをそっくり出したもので、自分の成果ではありませんでした。

社内で、ポートフォリオと職場で実際に私が出す成果とあまりに落差があることが問題になり、最初は社員教育が悪いんじゃないかと上司は役員から叱責を受けたようなのです。
事ここに及んで、自分の能力では生き残ることは出来ないと悟りました。

 

入社半年後のことです。
しかし、その後はどうした風の吹き回しか、私の勤務態度が社内で評判になり、将来はこの会社を君が引っ張れといわれました。

冗談かと思いましたが、日に日に期待は大きくなるばかりなのです。
ありえないという思いでした。

そしてすぐ、会社が私に期待しているのは専門職としての能力なんかではなく、マネージメントであると解釈しました。

 

それは私の望むところではありませんから、取り掛かっていたプロジェクトが一段落したとき、役員の執拗な引止め工作を顧みず、退社を強行しました。
もったいないとは思いましたが、後悔はしてません。

 

私は数年前に結婚してから、近所のスーパーのお惣菜部門でパートを始めました。
最初に面接に言った際は、青果部門とお惣菜部門両方を募集しており、私は青果部門希望と伝えていたのですが、当日行ったところ人手があまりにも足りなくてと結局お惣菜部門となりました。

私は自覚があるほどとても手先が不器用で、要領が悪く段取りよく行動することがとても下手でした。
以前にはお菓子工場でレーン作業をしており、単調で単純ですが臨機応変さを求められることも少なく、淡々とこなせることが心地よかったです。

しかしそこは結婚を機に地域から離れることもあり退職してしまいました。

 

スーパーのお惣菜部門ではやることは沢山ありました。
サラダのパック詰めを均等な量で手早く詰め、並行して焼きそばやたこ焼き等焼きものの仕込み、とにかくやること覚えることが山ほどあり、初日から頭は大混乱でした。

私は元々動きが遅めで、自分では猛スピードで動いてるつもりですが周りからはもっと早く出来ないの?とかき立てられ、己の無力さに強い恥を感じました。

 

様々な作業の中でいつも困ったことは、手先が不器用で食品トレーへラップをかける作業がとても下手で何度もやり直しをされ、結局遅くなるのでやらせてもらえず足手まといになることと、同時にすることがたくさんあると必ずひとつふたつを忘れて大切な商品を焦がしてしまったり台無しにしてしまったことです。

やることを紙に書いて失敗を防ごうと試みたのですが、書く時間すら取り逃し、結果皆の手を止めることになり謝り、自分の無能さを痛感する。
最初の頃は励ましてくれましたが、段々と周りをイラつかせてしまい、私は萎縮し、負のループに…。
仕事のノルマもパートの時間内ではこなせず、かといって残業することも申し訳なく、結局早めに来て作業し、タイムカードは規定の時間に通すということをしていました。

 

しかしある日朝一番に調理場に着き作業していると、部門の主任が私の横に来て、そんなに頑張らなくて良いと言いました。
嫌味でも諦めでもなく、真剣な眼差しで言われたので、大人気ないですが涙が出てしまい止まりませんでした。

パートを始めてからというもの、仕事を早く覚えよう足手まといにならぬようにと必死で、自分の結婚生活もおろそかになり、正直疲れきっていました。
主人と話し合った結果、専業主婦として家の仕事を頑張ってくれと言われ、忙しいお盆の時期を終えたらパートを退職させて頂くことにしました。

2ヶ月ほど前に申告しました。

 

主任は理解を示してくれ、十分頑張ってたよねと言葉をかけてくれました。退職届には一身上の都合として書かせていただきました。
こんなに頑張っても覚えの悪い自分が情けなく、それでも理解してくれた主任や主人の気持ちが優しく有難く、忘れられない思い出となりました。

今は専業主婦として家の仕事を頑張っております。要領はけっして良くはありませんが、自分のペースでこなせることが救いです。

 

私は1年ほど前まで、データ入力のアルバイトをしておりました。
アルバイト自体初めてでしたが、元々パソコンでの作業には慣れていたので「なんとかやっていけるだろう」と高を括っていました。

しかしいざ働き出すと、入力の仕様が普通のパソコンと根本的に違ったり、覚えることが多かったりと、苦戦を強いられる毎日が続きました。
それでも周りについていこうと頑張っていはいたのですが、同じ時期に雇われた人達との差は開くばかりでした。

 

焦りからなのか、それとも要領が悪かったのか、入力ミスを頻発するようになり、教育係の人や入力チェックの人には毎日のように嫌な顔をされました。
こんな体たらくなので職場での人間関係も勿論上手くいかず、これも全て自分の無能さが引き起こしたことなんだと思うととてもつらかったです。

そしてとうとう仕事で大きめのミスをしてしまい、従業員全員の前で自分のミスを大声で指摘されました。
それだけならまだ良かったのですが、その日のうちに教育係に呼び出され、反省文を書くことになってしまいました。

 

正直どうしたら良いかわからず、その日は定時の前からパソコンを前にして涙が止まらず、まったく仕事になりませんでした。
そんな事が続いたせいか、ストレスから全身の蕁麻疹と肝機能障害を2度発病し、入院することになりました。

命に関わる程の病気ではなかったのですが、この仕事に限界を感じていた私は「病気のせいにして仕事を辞めてしまおう」と思いました。
1週間後、退院した直後に職場へ辞めたいという連絡をいれました

 

退職届には「一身上の都合」とだけ書いて提出しました。。
引き止めには遭わず、すんなり辞める事ができました。どのみち近い将来クビになっていたのだと思います。

アルバイトを辞めた後は、好きな事を仕事にすることにしました。
収入は激減しましたが、精神面を考えたら今の仕事の方がメリットが大きいかなとは思います。

もう二度とあんな思いはしたくないので、バイトを選ぶときはもっと慎重になろうと思います。

 

税理士補助、雇用形態はパートタイムでした。
求人で見たときは「資格なしでOK」と書かれていたのですが、いざ業務に取り組んでみるとどう考えても簿記3級以上の知識が必要でした。

「前回の分を見ながら入力して」と言われても、根本的な仕訳のルールや意味が分かっていないので、他の人から見ると凄く初歩的なミスを連発、しかも直し方が分からない。
勿論、簿記3級が必要であることが分かってから、3級の参考書を買って勉強もしました。

 

が、そんな簡単に一つの資格が取れてしまうほどの勉強を片手間で習得できるほど私は器用ではなく、ミスと焦り、呆れの眼差しを浴びながらの日々した。
しかも、私は当時20代前半で事務所では最年少。

パートタイムとは思えない厳しい待遇で、事務所内で最も厳しく、権限が所長の次に重い税理士の補助に就かされ、容赦なく帳簿入力以外の、専門的(測量や相続の)仕事を任せられました。

 

辞める時に聞いた話では「若いからビシバシ鍛えてあげようと思った」との思いからだそうでした。
毎日がダメ出しの日々で、毎日泣きながら帰りました。

15時退社なのに19時くらいに。週3日のはずが週4日出社に。
「あなたは無能だ」と、無言で言われているようないたたまれない気持ちでした。

 

が、周りは私が使えないことを知ると、帳簿入力ではなく、雑用を頼んでくるようになりました。
電話番は基本。私がいる時間はすべての電話を私が取っていたと言っても過言ではありません。

初めは相手の話していることがさっぱり分かりませんでしたが(高齢者が多かったり、税理士と自分達だけで分かる話をいきなり振ってくるため)、だんだん相手の話している内容が分かるようになり、ある時、別の事務の社員から「さっきの方怒ってなかった?」と聞かれ、私が「いえ、普通でしたけど」と答えると、「すごい。さっきの方、クレームの多い人で、今日もたぶんこないだのこと(粗相のこと)でかけてきたはず…」と教えてくれました。

 

おかげで電話だけは少し自信を持てましたが、書類のスキャンと電話取りの日々はさすがに辛く、辞めると決意した朝に、白いコピー用紙に辞表を書き(ネットで一番に出てきたサンプルを参考にしました)、家にあった封筒(白封筒ではなく赤枠付)に入れて、出社するや事務で一番偉い女性に、「お話があります」と持ち掛け(向こうも察している)、個室に入り双方席に着くや、「いたたまれなくなりました」と言い、頭を下げつつ朝書いてきた退職届を両手で渡しました。

彼女は「そっかぁ」「みんなあなたのこと、好きだったよ」と言ってくださいました。
でも一瞬も躊躇う気持ちは起りませんでした。

 

これまでもこれからもこの職場では役に立てないのを誰よりも私自身が分かっていたので。その日は、事務所にいない人達へお礼のメールを出した後、事務所に残っている人達に挨拶回りをして、帰りました。
途中で所長に遭いましたが急いでいたようだったので「失礼します」とだけ言いましたが、多分話は伝わっていたようで、悲しそうな表情で「うん。お疲れさま」と言ってくださいました。

私が仕事さえ出来ればとても良い職場だったと思います。
帰り道は羽が生えたように軽やかな気持ちでした。

ここの職場での経験を通じて電話応対だけは抵抗が無くなったためその後すぐに別の仕事が見つかり、一般事務に関しては難しさで悩むということがなくなりました。

 

不良紙を選別したり、紙を包装する仕事で、正社員でした。
ミスが多く、仕事が覚えられないこともありました。

班で仕事をするのですが、仕事ができない私を次第に同僚や上司も冷たい目で見るようになり、仕事も与えてくれなくなり、毎朝、会社に行く前に、辛い、辞めたいと思うようになり、しまいには、上司に、「あんた、高校卒業してないでしょ」と言われたこともあり、「卒業しましたよ」と上司に伝えたところ、「うそつかないで」と言われました。

 

知り合いの紹介で入社したため、辞めたいとも言えず、1年は勤めました。
その知り合いの方は、部長でしたが、私が仕事ができないことがその方の耳に入り、ある夜、その方から、電話がありました。

私が回りに馴染めず、仕事もできないと、みんなが言っているから、辞めた方がいいんじゃないかと、知り合いの部長さんから言われました。
私も、仕事ができないことは自覚していたし、みんなに迷惑をかけていることも分かっていたし、自分自身も毎朝、行きたくない、辛いと思っていたので、迷うことなく、辞めますと、知り合いの部長さんに伝えました。

 

それが、会社を辞めようと思った理由でした。
退職については、口頭で、みんなに迷惑をかけているし、私も辛いので、辞めますと部長さんに伝え、退職届には、一身上の都合で辞める旨を書きました。

自分は、工場の仕事には向いていないということが分かったので、スーパーの品だしならできるのではと自分なりに考え、スーパーで働き始めました。工場とは違って、みんな和気あいあいとしていたし、親切丁寧に教えてくれたので、辞めてよかったなと思いました。

 

今では、休みの日でも、仕事のことが気になるくらい仕事が楽しくて、朝起きる時も、今日も一日頑張るぞと自分に渇を入れて、仕事をしています。
朝も、嫌な気分で起きることはなくなったし、○○さんがいないとダメって言われる程で、楽しく仕事ができるので、今の仕事でも嫌なことはありますが、毎日が楽しいです。

 

私が二十代前半の時の話です。
医療系の企業に勤めていました。

病院に、駐在員として派遣され、決まった部署で業務をする仕事です。
私は、地元では有名な私立病院に派遣され、臨床検査室にて、駐在員として勤務していました。

 

いわゆる、派遣社員で、臨床検査室で、臨床検査技師の補助業務です。
辞めようと思った理由は、補助業務は、①患者の採血・便・尿が入っているガラスのスピッツを仕分け、②すべてのスピッツに、患者の名前入りのシールを貼る、③院内からの患者の採血等の結果についての問い合わせ電話が主でした。

①と②は、多い時で200本あり、なんとか出来ました。しかし③の問い合わせ電話は、相手によって難しい事を聞かれたりして、答えるのに四苦八苦になったり、相手によって、問い合わせについて、その場でうまく答えられないと、不機嫌になったりする事が度々ありました。

 

毎回、電話応対の際、相手には「折り返し電話します。」と伝え、一度電話を切ってから、問い合わせについて、臨床検査技師に、問い合わせしたりしていました。
また、問い合わせについて、「電話応対が悪い」と院内から、クレームが来たりして、だんだん、仕事がイヤになってしまいました。

クレームが来て以来、もう、電話に出たくないと思ってしまいました。電話が鳴っても、あえて出なかったりした時もありました。
あの時、私は、「電話応対の業務は、全く出来ない、自身には全く向いていない」と思いました。

 

退職する際の理由は、「私は、こちらは退職させて頂きます。」と一言だけ伝えました。
辞表には、「一身上の都合上」と書きました。

退職してからは、しばらく就職活動をしていました。
次の新しい職場は、市民病院にて、医療器具の滅菌業務をしていました。

 

滅菌業務なので、いわゆる流れ作業です。外来や手術室で、使用された医療器具を回収に行き、洗浄室で、器具を水洗い、消毒、滅菌、そして、滅菌された器具を、外来や手術室に届けに行く流れです。
電話応対もなく、クレーム対応もく全くなく、流れ作業で、黙々とやる業務ですので、精神的に楽でした。

本当に辞めて良かったと思っています。

 

・その時の職種・雇用形態について

職種は食品製造員(製造職)、雇用形態はパート。

・辞めようと思った理由になった具体的な体験

これは私が食品製造員としてお仕事をしていたことです。
その会社は毎日違うものを作り、そのたび覚えることが多く、立ちっぱなしの仕事であり、重たい道具をもって仕事をしていたので、足と腰と腕を痛めてしまいました。

入ったころはわからないことがあったら聞いていいからねとベテラン社員の方が言っておきながら、どうしてもわからなくて聞いたら「いいかげんに仕事を覚えなさい」と言われ、あと「こっちは忙しいんだからいつまでも人に聞かずに人がやりよる仕事ぶりを見て覚えないといけない」と言われるし、男性上司の方がこっちが仕事をしているのに「どけ!」と言われるし、その男性社員の方は社員の名前を呼ばず「おい!こら!」と言う。

 

はじめてやることにわからないことを聞いたら「あー、質問はいいから」と言われるし、あと、仕事をしていても「これは俺がする」と言って横取りをする。
それから「今日は忙しいですよ」と自分は立ちっぱなしで社員にいい、他の女性社員の方から「そんなに忙しいと言うんだったら手伝ってくださいよ」と言ったら、男性社員の方は「腰が悪いから手伝えない」と言うのです。

覚えることが多く、社員の人たちはきちんと仕事を教えてくれないこと、立ちっぱなしの仕事をしていたので足と腰と腕を痛めたことが原因で退職を決めました。
社員の方から「なぜ退職を話してなかったの」と言われ、もうこれは私が自分で決めていたことだからと言いました。

 

・退職する際の理由はどう伝えたか

転職をするので退職させてくださいと伝えました。

・退職届にはどのように書いたか

転職をするためと書きました。

 

・新しい職場に転職して、「辞めてよかった!」と思った体験

経ちっぱなしの仕事に解放されたこと、もともとやりたい仕事に就くことができたことが良かったです。

 

初めまして、41歳主婦です。
近い将来カレー屋さんを開業するのが夢で今年の春に有名繁盛カレー店でオペレーションを学ぶために働き始めました。

雇用形態はパートでランチタイムに週3~4日。
朝10時30分?15時までの条件で働きました。

 

ホール希望で入ったのですが、調理補助や洗い物などマルチでこなさないといけなくて未経験な私は洗い物をするので精一杯でした。
メニューやトッピングの種類が多くなかなか覚えれなくてオーダーミスが多くいつも落ち込んで帰ってました。

研修期間も3日ほどしかなかったので。最初の2週間は本店で2週間後は新店のほうに移動となり、メニューや食材保管位置など本店と異なる事が多く毎日ミスだらけで上の人からカミナリが飛ぶ毎日となり精神的に徐々に追い詰められましたが、夢のために頑張ろうととにかく必死でした。

 

オーダーや洗い物などは、なんとかこなせるようになったのですが一番苦労したのが調理補助です。
ご飯をお皿に盛るのですが形が決まっていてなかなかうまくできず家でも練習しましたが、職場にいくとまた怒られるのではないかという恐怖で手が震えてミスばかりでした。

いつまで経ってもスピーディーにできないし、型も綺麗ではないので上司にため息をつかれる毎日で段々と精神的に追い詰められていきました。

 

辞めようと思った具体的な理由は2つあります。
1つはストレスで身体中に湿疹ができ全身関節炎になった事です。

今までそんな経験をした事がないのでびっくりしました。
あともう一つは、インスタに上がった料理の写真をオーナー夫人からLINEで送ってこられて、盛り付けが過去最低の出来、店の価値を下げないで欲しいと言われた事です。

 

私が盛り付けたと勝手に決めつけられたので、もう本当にこの職場に私は必要とされていないんだなと退職を決め、オーナー夫人と電話で話辞める事になりました。
給料の振込先も聞かれてなかったので給料も辞退する事になりました。

仕事をやめたらストレスがなくなり湿疹や全身関節炎も治り今は新しいカレー屋さんで働いてます。
今働いている職場も大変忙しく覚える事もたくさんありますが、前の職場での悔しさと経験をバネにミスもなく楽しく働けてます。

 

職種は、サービス業です。
雇用形態は正社員でした。

このお仕事も、私にはあまり向いていないかな。と思いながら、お仕事をしていました。
車関係には、ほとんど詳しいわけじゃないですし、興味があるものでもありませんでした。

 

車の洗車一つにおいても、ごく普通のシャンプー洗車なら簡単でスグに機械の操作は覚えましたが、忙しくて慌てているとき、窓が、きちんと閉まっているのか確認を忘れて、お客様の車の中をビショビショにしてしまったことがあります。
幸い、そのお客様が、とても優しい方で、何の弁償もすることなく、店長とお詫びをしただけで許してもらえました。

ガソリンを給油する単純な作業も、トラックというだけで軽油だと思い込み、軽油を給油したところ、レギュラー車だったので、全部ガソリンを店長に抜いてもらい、お詫びにハイオクを給油して、私が弁償という形で終わりました。
その他の作業では、オイル交換やエレメント交換、電球の交換と、さまざまな作業があるんですが、オイル交換をしてもらえるお客様を取りましたが、作業は、さほど難しいわけでもないのに、男性スタッフの方がしてくれていましたが、ある時、男性社員の方がオイル交換くらい覚えないと。と教わりましたが、簡単な作業だったのですが、スグに覚えられず、足手まといだったように思います。

 

覚えが悪い私に教えるよりも、男性社員の方も、自分で作業した方が早いと思ったようで、それから自分に自信も持てず落ち込んでいました。
あとは、私が担当していたケミカル商品も、率先して社員の方にも勧めてくれるよう、お願いした時に、自分の担当ばかり目を向けないで、他の仕事も積極的に声かけて、お客様とれよ。と言われてしまいました。

その通りだと、言われて初めて気付く自分が情けなくなりました。
このままじゃ、一緒に働いている同僚の方にも申し訳ないですし、会社にとっても、こんな仕事が出来ない私を雇って給料を払うのがもったいないと思っているんじゃないかと思い、退職しました。

辞める時は、ごく普通に一身上の都合により退職させていただきます。と書きました。

 

私が行ってたのは、製造業の車の部品を作る仕事でした。
誰でも簡単にできる仕事と言うことで、広告に出ていました。

面接に行くと、来てくれるなら誰でもウエルカムで、その場で直ぐに採用となりました。
さて仕事が始まると、チンプンカンプンでした。

 

初日はまだ、切り方、繋ぎ方位だったのでそんなに思わなかったのですが、二日目からいよいよ本題に入ったのですが…部品と配線、配線図。
その配線図を見て、そこに書かれている通りの場所に、同じ色の線を繋ぐ…と言う作業でした。

一見簡単そうに聞こえるのですが、実際に図面を見ると何が何やら全然わからず…、その都度、そばにいる人を捕まえて聞くも、説明すら分からないので(電気関係の学校出たわけでもなければ、そう言ったことが得意ではないので)専門的な事じゃなく、どこにどう繋ぐの?と思うも、一応説明してくれている手前、そんなことは言えず。

 

しかも、私はパートで、朝市から入ってたわけじゃなかったから、自分の席につくと、図面と作りかけ途中のままの物が置いてあって、そのまま放置。皆忙しくしていて、聞くこともできず、ただただ自分の席に座って、図面と、作りかけの物を見比べる。
そのままどんどん時間だけが過ぎていく。

ようやく一つ、これとこれが繋がる。多分…ところが、それから先がまたわからず。ずっと図面と物とのにらめっこ。
ほとんど何もせず、その日の仕事時間が終わる。と言った感じで、体は楽でしたが、精神的にきつくなって行きました。

 

実際に、そこで働いてる人から聞いたのは、ここの部署は、女の人取らんのやけどなぁ。と。
そうでしょうね。と言う内容なだけに、ならなんで取ったんだろう?と思いました。

気持ち的にキツくなったことで、朝仕事先に向かうのがしんどくなり、辞める事を決意しました。
その日の仕事終わり、正直に全てを打ち明けて、やめる事をを伝えました。

 

忙しくて十分に教えられなかったからとごめんね。と言われました。
辞表はありませんが、事務所にも伝えに行きました。

誰でもウエルカムでしたが、去るもの追わず。と言った感じで、あっさりしたものでした。
座ってるだけで、お金貰えて楽勝!と考えられなかったので、辞めたらスッキリしました。

あれは向き不向きがすごくあると思いました。
面接でも、しっかり聞くべきだし、伝えるべきだと思いましたが、良い勉強になった気がします。

一つ返事でOKするとこは、ちょっと警戒した方が良いと思いました。

(今回は一位として派遣社員、正社員、パート、アルバイトの方を紹介しましたが、ほかにも契約社員で働いていた方、新卒で新入社員として入社したものの予想していたより仕事が難しく、研修中・試用期間中に辞めた方も沢山いました。)

 

いかがでしょうか?

仕事が覚えられないというのは、単に向き不向きの事も多いです。
転職先が向いている職場なら、今より仮に難しい仕事内容であったとしても、楽しくやりがいを感じながら仕事ができるるはずですよ。

退職しない限り、職場環境はこれからずっと変わりません。
数年後に「もっと早く辞めていれば…」と思わないように、勇気を出して退職してみてもいいかもしれませんね。

 

仕事を辞める方法は、以下に紹介する記事が参考になると思いますが、もし

  • 自分から退職を切り出せない、
  • 辞めたいといっても強い引き止めに合う
  • 即日退職したい

という場合は、この記事の最後までお進みください。

自分で退職するコツ

退職時のよくあるトラブル解決法

自分から退職を切り出せない場合はどうする?

もし自分で仕事を辞めたいと言いづらかったり、すでに退職したいと伝えているのに辞められない場合は、退職代行サービスをおすすめします。

退職代行サービスのメリット
  • 今この瞬間から、会社の人と話さず退職できる
  • 退職を拒否されるリスクが低い
  • 訴えられるリスクが低い
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詳しくは以下の記事を読んでみてください。

⇒退職代行サービスの仕組み、流れ、値段、法的な問題などについて